木陰の事件
もう何時間もそうしていた。
緑の葉の間から、そのはるか上にある青い空がのぞいている。
大きく茂った緑の下に、壊れかけた木のベンチ。
木遁で補修したが、これくらいの能力の不正使用、誰もなんにも言わないだろう。
ついでにアカデミーのボロ校舎も直そうか・・・
ベンチに横になって、そんな事を考えた。
暖かい風が木の下を通り抜ける。
敵とはいえ、人を殺して、その感触を忘れてしまえるような奴はいない。
頬に飛ぶ血のにおいを拭うままに洗い落とせる奴なんていない。
息を吐く。
深く、深く。
テンゾウの心は、火影の部屋で見たカカシに向いた。
白い牙の息子。
自分が彼と暗部で組むときは、作戦が前任者の下手で煮詰まっていたり、味方もだます様な極秘任務だったりした。
任務の内容は壮絶を極めた。
天才とうたわれた先輩でさえ、血で汚れた手を見て「もう、俺たち、里には戻れないな」と、嘆息した。
そして、今の僕には、こんな時間が必要なのに、彼はあっさりと里に戻った。
心のどこをどういじれば、『日常』にすんなり戻れるのか?
風の温度が心地いい。
このまま目をつぶってもいいんだろうか・・・・
目をつぶっても、また僕はここで、目を覚ませる?
あの日、初めて明るいところで見た先輩の顔。
あまりに端整で、僕は視線を固定してしまった。
「テンゾウ?」
「え・・ああ・・」
声はカカシさんそのもので、彼と行動していた暗部の時間を不思議な感慨で思い出す。
面の下は、この顔だったんだ。
初めて見る顔なのに、僕はずっとこの人と一緒だった。
時間が流れ、木の葉から漏れ落ちる柔らかい日差しが、ゆっくり移動していく。
これが、日常の時間。
突っ走っていた僕が、あると思いもしなかった平和な時間。
ちょっと感傷的になって、手を伸ばす。
淡い緑の光が戯れて、見飽きなかった。
「こんなとこにいたの」
ベンチの頭のほうで、声がした。
目線を動かす。
僕の手の中にある光と同じ色に染まった先輩がいた。
「なにしてるの?」
「リハビリです」
「ふうん?」
そう言うと、手すりに腰掛ける。
「先輩こそどうしたんです?」
「ここ。俺の特等席なんだよね」
「あ・・・ごめんなさい」
僕は起き上がり、ベンチの端に座った。
「いやいや、知らなかったんだから、ね」
言いながら先輩は、僕の隣に座った。
「あれ?直ってる?」
僕はクスッと笑った。
「直したの、テンゾウ?」
「ええ」
「ありがとう、ぎしぎしいって、座りにくかったんだよ」
先輩の手に、本が握られている。読むともなくパラパラとめくっている。
「もう大丈夫なんですか?身体」
「日常生活は大丈夫」
覆面をしていない。
白いページに緑の光が反射して、ちょっと青白い顔が今は明るい。
「先輩、一つ、聞いていいですか?」
「ん?」
先輩がこっちを見る。
「どうしていつも顔、隠してるんです?」
「ああ、意味なんてないよ」
そう言いながら、頬がちょっと紅くなったのを見た。
意味、あるんだ・・・・・・
先輩はまた前を向いて、本に目を落とす。
風が吹いて、木の梢の葉がざわざわと鳴る。
ああ、暖かい・・・・
さっきはなかった先輩の体温も、僕に流れてきているようで、僕はこの日常が気に入っている自分に気づいた。
静かな時間が流れる。
互いに、なにも言わない。
先輩は、多分、本を読んでいない。
僕も、もう、何も見ていない。
明るい緑に色づいた風が、目の前をゆっくり流れていく。
「なじんでますね・・・」
何も読んでない証拠に、先輩は、僕の言葉にすぐに反応した。
「は?なじむ?」
「ええ」
先輩は、僕をじい~と見た後、正面を向いた。
「俺が?」
「ええ」
「何に?」
「空気」
・・・・・・・・・・
先輩が本をめくる。
今度こそ、本当に読み始めたかもしれない。
僕は立ち上がり、眩しくすら見えた風の中に歩き去ろうとした。
と、先輩が何か言った。
「?」
僕が振り返ると、
「お前にも、わかるよ」
と言った。
僕は、曖昧に笑うと、その場を立ち去る。
「わかるもんか、わかるもんか」
そう言いながら。
おとなしい飼い猫になんか・・・・なるもんか。
僕に毒がないって信じてる先輩が疎ましかった。
余程行ってからもう一度振り返る。
先輩の姿を、ベンチの上に小さく見て、僕はもう一度自分に言う。
「わかるわけない」
と。
でもそのセリフは、吹いてきた暖かな風に乗り、前に向き直ったときは、僕はもう、頬についた過去の血を忘れていた。
2008.02.10./02.16.