冬の気配




「あ・・」
と、サクラが白い息を吐く。
ん?、とカカシが振り返ると、
「なんか今、冬の感じがした!!」
と可愛いことを言った。
カカシは、空を見上げる。
水色の上に暗い宇宙が見えそうな、高い、高い空だ。
「ん?・・・・あ、なんかわかる」
そばでナルトも、なぜか鼻をクンクンさせて同調する。
「冬に、においがあるのか、ナルト」
カカシが笑うと、
「「あるよ!!」」
と二人一緒にムキになる。
うわ~~かわいい、とカカシが目を細めると、
「冬のにおいがわからないなんて、忍者失格よねえ~」
「そうだってばよ」
と憎らしいことを言った。
サスケは離れて、相変わらずクールを装っているが、やっぱりその鼻はピクピクしている。
「サスケ、お前もわかるのか?」
「フン」
予想通りの反応に、カカシはまた目を細めた。
そういや、と脳裏を過去のシーンがかすめていく。
『先生も、こんなふうに俺たちを見ていたんだろうか』
同じフォーマンセルの形態は、容易に過去との比較になる。
『俺が先生で、サクラがリンだね。ナルトはオビトかな。じゃあ、サスケが・・・』
「カカシ!!早く行くぜ、ウスラトンカチが」
「・・・はいはい」
俺は先生にそんなこと言わなかったよなあ~と、苦笑するカカシの前を、三人が子供らしいお喋りに興じながら歩いて行く。
その様は、自然に頬を緩ませる。
「俺、幸せかも」
わざと声に出してみたが、三人は気がつかず、その可愛い笑い声を空に響かせていた。
やがて、賑やかな別れの挨拶があり、連中と分かれて、いつもの道をトボトボ歩く。
ナルト達にはああいったが、カカシにもサクラの言ったことはわかっていた。
「確かに冬の感じがするよ」
未だ、昼間は秋の陽気で、紅葉もまだまだ綺麗に色づいている。
でも時折、ツンとした冷たい空気が混じり込み、それは確かに冬のにおいがした。
「ああ・・・」
溜め息が出る。
これから寒い冬が来る。
思いがけなく、子供達の存在は、カカシにいろんな暖かいモノや明るいモノをもたらしたが、人肌恋しいと思う、若い自分の心は誤魔化せない。
実際の所、顔も晒さない暗部出の怖い男に、浮いた噂なんて・・・・ない。
無意識に左目の傷をなぞり、
「漫画ならかっこいいんだろうな」
と独りごちた。
傷を初めて見た人は、大なり小なりびびって、一瞬目が泳ぐ。一般人ならなおさらだ。
日が暮れないうちに帰ろうとする自分の背中が見えるようで、カカシはもう一つ溜め息をついた。





みんなの成長を待つ、じれったい感じにも、もう慣れた。
自分のスキルをいっぺんに与えそうになるような無茶な感覚を、最近、やっと飼い慣らすことができた、と思っている。だから、こんな、おだやかなDランク任務のあとに、風呂に入ってさっさと寝てしまおう、などという発想も生まれるのだろう。
「ああ、似てる・・・っつか似てたな、俺とサスケ」
今頃、たぶん高い確率で修行しているであろうサスケを思い出す。
ちょっと前の自分も、こんな生活、自堕落の一言で切り捨てたろうな。
「でも、ま、ちっともイヤじゃないな、今のところ」
誰もいない部屋で、クスクス笑い、カカシはベッドに潜り込んだ。
と、窓辺に置いた写真が目に入る。
室内は暗く、その詳細は見えないが、鮮やかに思い浮かべられるほど、もう記憶している。
「仲間を大切にしない奴は、それ以上のクズだ」
もう自分の言葉になってしまったそれを、暗い天井に言ってみた。
俺の人生を変えた言葉。
友人。
「ああ、似てる。ナルト、お前、やっぱりオビトに似てるなぁ・・・」
俺のように、もの凄いネガティブじゃなく、自分の人生を文句も言わず背負って、必死で生きて、その結果、大人でさえ得難い信念を手にした。
「俺の方が生徒みたい」
手足を伸ばして、欠伸をする。
「ああ、やっぱり俺、しあわせかも」
そういって、カカシは眼をつぶる。
今度は傷痕ではなく、眼球のままに膨らむ瞼をそっと撫でる。
「俺、独りじゃないなあ。オビトも一緒なんだよなあ~」
醜い傷痕は、自分の力不足のせい。
この、神経が繋がって、血が通ってる眼は、オビトなんだよなあ・・・・・




「すっかりオッサンだな、カカシ」
森にいて、自分を見下ろす少年の、笑っているらしい面影を見上げる。
周囲の暗さに、時間を計る。でも、なぜか見当がつかなかった。
「誰?・・・まさか?」
「は、なんだその自信なさげな声」
少年は音もさせずに、カカシのそばに降り立った。
「もう忘れたのかよ?」
背は自分の胸くらいしかないが、その髪の色とゴーグル、そして何よりその声が、懐かしい友人のもの。
「オビトか?!」
「らしくねえな」
やっぱりオビトだ!!
最期を見届けたのに、何の不思議もなく、カカシの胸に万感の想いが満ちる。
カカシはいきなりその足下に這い、頭を下げていた。
「ごめんっ!!本当にごめんっ!!」
「は?ばっかじゃねえの?お前」
僅かに見えるオビトの足が、クルリと回転して、カカシに背を向けたのがわかった。
「オビト!!俺、本当に・・・」
カカシが、さらに言いつのろうと膝で這って、オビトの背にすがる。
その背に手をかけようと伸ばして、オビトが手を硬く握りしめているのがわかった。
強く握られた拳は、僅かに震えている。
「オビト?」
「・・・ごめんなぁ、カカシ」
「え?」
唖然と動きを止めるカカシを、オビトはゆっくり振り返る。
「辛かったろ?」
「・・・・なに言って・・・」
オビトは膝を折ると、カカシと目線の高さをあわせた。
「独りで生きてきたんだよな」
「・・・・・」
オビトの指が、銀髪を透く。
まだ、年若い友人の指は繊細で、流れるように髪の上を滑る。
「ごめんな、カカシ」
「オビト・・・」
「独りでがんばらせちまって、ごめんな」
それは本当に優しい笑顔で。
喧嘩ばかりしてきたのに、自分に向けられた笑顔なんて、ほとんどなかったハズなのに、カカシは、その笑顔を知っていた。
「あ・・・・」
何かがはち切れて、中の色々が、抑えようもなくあふれ出るのを感じた。
それは、みっともない嗚咽で、何年も忘れていた涙で、独りだった寂しさで、無理解の中を生きた悔しさで、時間の向こうに置いていかざるを得なかった大事な想いで・・・・
うわあという叫びと共に泣くカカシの頭部を、オビトの幼い手と胸が抱く。

夢だとわかっていた。
でも、夢じゃないと知っていた。

しゃくり上げるような呼吸のせいで、もう言葉が出ない。
それでも、何か言おうとするカカシを、オビトの手は、応えるように強く抱きしめて。
震える髪に、オビトの頬が押しつけられる。

ああ・・・・

次第に落ち着く呼吸のまま、身体をオビトにあずけて、カカシは深呼吸する。

独りじゃなかった・・・

いろんな経験をして、いろんな人間の思いや犠牲の上に生きて、

独りじゃないんだな・・・・

「大変だろ、こいつ」
顔を上げたカカシの左目の傷をオビトがそっと撫でる。
オビトの左目はゴーグルの奥で、なぜか、よく見えない。
「すごくチャクラを喰うよ」
カカシはちょっと笑って言ったが、オビトは笑わなかった。
深く、ずっと深い所で、何かを考えている顔をして、もう一度、カカシの傷をそっと撫でた。
その指の感触を忘れまいと、必死に感覚を集中させて、
でも、それはゆっくり離れていく。
夢が終わる予感は、すごく寂しくて、カカシは思いっきり手を伸ばす。
もう実体として感じない映像は、いつの間にか暗い森に収束して、
静かに、闇に溶けた・・・・





「先輩?」
誰かがカカシを揺すっている。
「オビト・・・」
「・・・・先輩」
寝ぼけて放ったカカシの一言で、後輩はすべてを悟ったようだった。
カカシの左目の話は、テンゾウも漏れ聞くことがあったし、カカシ自身からも、断片的に聞いたことはある。
「僕です」
「え?!」
いきなり起き上がったカカシは、状況把握をしようと息を詰めて周りを見回す。
その姿が、なんとなく幼くて、テンゾウは微笑んだ。
「なんだ、テンゾウか。どうしたの?」
「いえ、ただの挨拶ですよ」
先輩、気にしてたでしょ、例の任務、と、テンゾウは、任務の話を口にした。
互いに、里の中枢に近いため、頻繁ではないが、このような情報のやりとりはあった。
「あ、ああ・・・上手く収まったのね?」
「はい。それで、家に帰る前にご報告、って思ったんですが・・・」
言いながら、テンゾウは開いていた窓を静かに閉じる。
ちょっとの時間、外気に晒されていた室内は、カカシが身震いする程度に、温度を下げていた。
「お前、冬のにおいを部屋に入れたな~」
「は?」
まだねぼけてんですか?とテンゾウが肩をすくめる。
「無粋な奴め。においがわかんない奴は、忍者失格だぜ」
「・・・・・・」
理不尽を言い放って、それを聞くテンゾウを見る。
テンゾウは、なにも言わず、カカシの悪ふざけを受け止めていた。
その、真面目な目差しに、オビトの目差しが重なる。
「そう、サクラが言ったんだよ」
「サクラ?・・・ああ、7班の?」
テンゾウは言いながら、窓の外を見る。
何とはなしに、その去りがたいような姿を、カカシも、湧き上がるなにがしかの感慨と共に見つめていた。
「確かに寒くなってきましたね」
「ああ・・・」
カカシの低い声を合図に、テンゾウは窓を開いた。
「冬支度、しないとだめですよ」
そんなことを言う。
それが、生活のそれじゃないことを、やっとカカシが思い至ったとき、もうテンゾウは夜の空に消えていた。
瞬間、吹き込む風に、身をすくめて、カカシは、窓をそのままに、ベッドに潜り込む。
窓越しに夜空を見た。
「月・・・」
まだ、空の高さは高く、秋の気配を残した夜空に、月が煌々と輝いている。
白い光の帯が射す室内で、カカシは再び眠りについた。





その夜、テンゾウが明け方まで、屋根の上にいたことに、カカシはついぞ気づかなかった。



2009.08.03.