はじまらないけど、おわりもない

静かに沈殿していた朝の空気は、勢いよく火影の執務室の扉を開けたナルトにぶち破られた。
「おはようございまーっす!!」
ほとんど「おはようございま」が聞こえない。カカシは目蓋だけちょっと上げた。
「おはよう」
来客用のソファに寝そべったまま、挨拶を返す。
「あれ、六代目、ここで寝たのか?」
「いや。寝ては、ない」
「徹夜したってば?」
「ふふふ。任務中は平気なのに、里にいると、睡眠不足を感じるってないい」
「それわかるぜ」
いいながら、ナルトはカカシの寝そべるソファまで来て、その足の方に座った。
「気が張ってないんだよね」
ナルトは、そこら辺に散らばっている書類を拾い上げると、整理しはじめる。一部は、カカシの身体の上に乱雑に広がっていた。カカシの手をどけてそれも集める。
「あ、こんなのまで火影が気いまわすことねえのに」
ナルトが書類をいちいちチェックして、そんな事を言う。
「だめだな。これは口頭でいい。秘書役が押印、と」
ナルトが喋るたびに、接している身体の低い振動が心地よく伝わってくる。
「あれも確認しておかないと。あれって、あの廃坑のさ」

カカシに言っているのか、独り言なのか、でも、目を閉じているカカシには返事を期待していないようで、語尾はフェイドアウトした。しばらく静かな中、ガサゴソという音だけがしている。
「先生、この間の、目、通してくれたかな」
しかし、いつの間にか先生に戻っているナルトに、カカシが思わず口元を緩めた。
「ん?先生、起きてたの?また寝てしまったかと思った」
「だって、お前が先生なんて言うからさ」
そう言って、カカシは顔を背もたれに向けて、本格的に寝る構えだ。が、ナルトの何か言う、何が動く気配がない。カカシが「?」と顔をナルトに向けて目を開いた。
「お・・・」
ナルトがこっちを見ている。
しかも、盛大に笑みを浮かべていた。
「わざと言ったのに」
「・・・・は?」
「狸寝入りなアンタの耳を試したの」
言いながら、その手を伸ばして、カカシの目にかかる銀髪にそっと触れた。
「ナルト・・・」
ナルトの顔に、真横から射す朝日のオレンジが、乗る。
半透明な皮膚を輝かせ、金髪が光を跳ね返す。ナルト自身が発光しているようで、カカシは、ゆっくり唾液をのむ。それはたぶん比喩じゃない。
「俺も大人になったよね」
いきなりそんな事を言い出す。カカシが目を細めて、その唇を見た。ナルトの眼差しが温かい。
「キスやエッチより凄い事があるって・・・」
「・・・・」
「今ならわかるんだ」
ナルトの指が、そっとカカシの髪を揺らし、ゆっくり揺らし、カカシの皮膚を波のように神経の細かやかな跳躍が覆う。ナルトの手がゆっくり離れて、カカシはその距離の分、息を吐く。
「お前・・・」
カカシが嘆息と共に言うと、ナルトはニッと笑んだ。ギュッと心臓が掴まれる感覚と共に、アカデミーをバックに笑うナルトがダブる。
「さ、行ってくるよ」
と立ち上がるナルトは、その名残惜しそうな空気をあたりまえにカカシに向けた。犬のように、駆け引き無しで盛大に振られる尻尾を、強烈な駆け引きにするナルトにカカシは釘を刺す。
「自覚あるならやめろよ、そういうの」
「いつもなら敢えてだけど、今は、先生だからね」
「俺だから、なんだ?」
「本心だよ」
そう言って笑うナルトの顔をまともに見ることが出来ない。呆れている風を継続して目線を落とす。
「呆れてる先生って、マジ、俺を元気にする」
それは軽口のようで、事実なんだろう。カカシは、手を上げると、ナルトの右手に軽く触れ、
「気をつけてな」
とだけ言った。
触れた部分にナルトはたぶん無意識に左手を重ねて出て行く。
開いたドアがゆっくりと閉じ、向こうに歩き去るナルトの後ろ姿は、これから始まる静かな映画のようで、カカシは閉じたドアからしばらく目を離せないままだった。


終わり【2020年4月10日】

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