緑を漕ぐ 4




外の明るさに比して、相対的に暗い部屋の中を、緑色の風が吹き抜ける。
焦燥する思考の外で、「やっと夏だなあ」と俺は、客観的な感想を巡らす。
俺の真意を理解しようとしている先生の髪も、初夏の風に遊ばれて、俺はその様を、時間感覚を越えて、見ているような気がしていた。
そうだ、俺は、その色をずっと以前から見つめていたんだっけ・・・・
俺の手は、力なく先生の肩から離れ、汗ばんだ手のひらは、一瞬にして部屋を吹き流れる風に乾く・・・・
   「どういうこと、ナルト?」
先生の声は小さくて、
ああ、この場の時間と空気を動かすのは、もう「俺」なんだ・・・・・
   「こんな時に卑怯かもしれないけど」
   「うん・・・・」
   「先生のことが好きだって、」
   「・・・・・」
   「はっきりわかったよ」
   「・・・・・」
先生は本当に困っていた。
いわゆる大人の対応すらできないほど、困っていた。
確かに、自慰行為を見られて、その勢いに乗せて、告白までされるなんて。
しかも、教え子・・・・・
   「困る」
先生がつぶやく。
でも、このときには、俺はわかっていた。言葉という体裁にこだわれば、ここに永遠に止まらなければならないこと。少ない年数ではあるが、濃密に生きてきた俺の経験が生む直感に従うしか、今を動かす術はない。
   「ごめん、先生」
先生が困惑する、俺の「ごめん」の意味を判断しかねて。でも、俺の「ごめん」は、先に進む「ごめん」だ。
   「今度は俺も混ぜて」
   「・・・・は?」
先生の声が、乾いてガサガサになっている。
   「ま・・・・まぜるって?」
   「先生一人じゃなくって、俺と二人で・・・・」
   「お、お前・・・・」
   「先生と、したい」
   「ははは・・・・、何言ってんの、お前、」
   「好きなら当り前だろ?」
   「や、それは、」
   「あ、ごめん・・・そうか」
   「?」
   「先生の気持ちもあるよね」
言いながら、その絶望的な結末を含む可能性に、本当は、俺は胃の上部を引きちぎられるようだった。先生との色っぽくてきわどい会話は、最前の状況が導いた結果であって、そこに先生の気持ちなど微塵も入っていないことに、俺はこの時やっと気がついたのだ。
窓の外を見る。 明らかに途中から俺は、この状況を自分で導いたのに、一方でそれを激しく後悔するという、人生にありがちな展開を味わう。
しかし。
時折風にあおられ大きくざわめく緑は、その葉の表面に光を載せ、周りに撒き散らし、深刻な状況とは裏腹に、窓の景色はのどかだ。先生の沈黙は長く、俺は暖かな空気に体を包まれたまま、この時間が永遠に続いてもいいような気すらしてきていた。そして、そうしていたほうが楽だから、俺は窓外を見続け、その視界に先生の姿を入れなかった。
   「困るんだよ・・・ナルト」
やっと先生が、そう呟くように言う。気配に溶け込んでしまうような声。
俺は声を出さず、わかる程度に軽く頷いた。
でもそれは、理屈として理解するという合図であって、納得したわけではもちろんなかった。先に進むと決めたのだ。先生の世間体と、俺自身の停滞していたい怠惰に付き合うつもりはない。
   「それは、答えじゃない」
   「・・・」
   「先生の気持ちが知りたい」
   「・・・」
   「俺のこと、そういう風に見れないなら」
   「ナルト・・」
   「諦めるよ」
   「・・・」
   「困らせてごめん」
なんか、カッコつけたセリフだなと、自嘲する。
と、気配を感じるか感じないかで、心は果敢に、目だけは戸外に逃避していた俺の耳は、先生がいきなり発した音に仰天した。ガタンともゴトンとも聞こえた椅子を乱暴に引いた音だと理解したのは、忍者としては恥ずかしい程度に後だった。
   「全然違うよ、ナルト」
へ?先生はベッドから椅子の背もたれを軽く飛び越して、ストンと座る。俺の真正面、だ。
   「俺が困ってるのは、そこじゃないんだ」
   「じ、じゃあ・・ 、え?なに?」
先生は、自分の頭の中に残っている「困った」感情をすべて一気に吐き出すかのように、深くて長いため息をついた。俺は、明らかに、これから何かが動き出しそうな胎動を感じていた。それがいいことだろうが、そうではなかろうが、決着だけはつく、という妙な期待感。先生の顔がチョットだけ紅潮する。
   「お前でイッたから」
何を言ってる?
   「困ってる、でしょ」
どういう・・・
   「そういう意味でお前が好きな俺を」
先生・・・
   「俺自身が、持て余している、というね」
・・・
   「ああ、サイテーだな、俺」
聴覚と触覚と臭覚が、いっぺんにマヒして、視覚も先生の輪郭を認識するのみ。
現状認識に、錆び付いた脳がフル回転。
暖かな風が俺の髪を撫でて、やっと、その風に乗った街の静かなざわめきが聞こえてきて。
俺は、はっきりしてきた感覚を確かめるように、先生を見る。
なんて告白してんだよ、カカシ先生。
でも俺は、今まで何かでとどまっていた自分の感情が、伸びやかに解放されるのも感じていた。さっき、ずっと好きだったことに気づいたみたいに、俺は、自分の心がこんなにも豊かに何かを表現したがっていたことにも、やっと気づいた。
先生の髪の一本一本が、俺に強烈なイマジネーションを要求してくる。
その窓を背にした翳った顔の「愛しさ」が、俺の今までの感情の許容をあっさり超えて、俺は新しい時間を知った 。
ただ、俺も大人になったのかなと思ったのは、先生の言ったことが理解できた瞬間にも、手放しハッピーにはならないことに気づいた時だった。
   「なんか」
苦しそうに出た俺の声に、先生が目をあげる。
ああ、その印象にさえ、俺はもう、抗えない。
   「すごく、切ない」
最後は掠れて、先生の気持ちもきっと俺と同じだ、そう思って。



 
 
俺の求愛で先生を困らせていると思いこんでいた俺は、ちょっと思考に空白ができた。それは足踏みしているような感覚で、でも自分の思いだけで数十分を突っ走ってしまった俺には必要な時間だった。
   「悪かったよ」
言いながら先生が、左手で髪を掻き上げる。柔らかな空気に数本がパラパラと乱れて、そしてまた収束して行く様に、もう、客観でこの人を見ることはないのだというチリリとした痛みがあった。
   「すべて俺が悪い。お前に見られたことを偶然で片付けてしまうほど、俺は図々しくはないよ」
   「先生は、悪くないってば」
俺は、我知らず、髪を掻き上げたままの形の先生の左手首に手を伸ばしていた。もう、俺と同じくらいの太さのそれを握る。先生は成行きを見守る人の様子で俺を見上げる。先生はどう感じているんだろう。俺はもう、さっきまでの俺ではいられないのに。     
   「俺の気持ちは話したよね」
窓から鳥の声が聴こえてくる。色んなことがバラバラの速度で流れているみたいで、俺はめまいを感じていた。
   「先生も俺を好きでいてくれてるんだろ?」
黙って俺を見ている。そのことに俺はちょっと焦れて、手首を握っていた手を、少しこちらに引き寄せた。俺の動きのままに、先生の身体が僅かに揺れる。
   「先生としたい」
さすがに眉がピクリと動いて、明らかに否定をしゃべりそうなその口に、俺は左手の指で蓋をした。驚いて俺を見上げる先生の愛おしい風情に、もう、俺にはそうとしか感じられない風情に、俺は抗えなかった。
他人の唇が、こんなにも脆弱で柔らかいことに、俺の理性のネジは緩み、多分先生も直接触れてきた俺の体温に、何かを感じている。
   「もう、これ以上、俺をからかわないで」
もちろん、からかわれているなどとは思っていなかったが、先生の逡巡に付き合って、結果このまま放置される事は、俺にはそれに等しかった。
   「いいよね、先生」
   「ナルト」
先生が、俺の名を呼び、それは最後の抵抗。
俺は目を見開いて、すべてを記録しようとしていた。
先生が、ただの男になる瞬間を。
それは、一秒の、さらにそれの何分の一かの時間なのに、先生が欲望に陥落する様を、でもじっと待つことは出来なかった。

俺の両手は先生の頭に移動して、その小さな頭部を支え、
我流のカッコ悪いキスをした。

俺の唇が触れている間、先生は何のリアクションもせず、
部屋の窓からは、さっきまだ俺がいた時の陽光の匂いがして、
それはまだ近い過去なのにずっと遠くに感じられる、同級生とした初めてのキスの時のような春の空気に似て、
先生と一気にこんな状態になっていることに
俺は静かに驚いた。
唇を離して、直近で先生の顔を見ることができず、下を向いたまま、ゆっくり身体を離す。先生の両手が俺の腕を掴んで、そのわずかに強い感じにすら、俺の心は喜んでしまう。その強さに、俺に向けられた意志を感じて。
    「一回だけ」
先生はそう言った。
    「一回・・・だけ?」
俺は顔を上げる。
先生がそんな幼い必死を俺に見せる。
オトナには、 一回も、二回も、そして三回も、意味は全部同じなのに。
だから、逆に意味があるんだって、俺はホントはわかっている。

ああセンセイ

先生を見る。
全てが綺麗に整い過ぎている線の細い脆弱さは、今の現実味を喪失した状態にあって、俺の下腹を熱く抉るような、でも崩壊の音と絵を伴わない、不思議な衝撃だった。
俺に圧されるように、先生は目でうなづく。
そして今までの人生のどんな瞬間より、俺は激しく欲情していた。
   「俺がしてやるよ」
カカシ先生が、俺の中で生身の人間になる。
先生じゃなくなって、年上でもなくなって、先輩でも、優秀な上司でもない。
   「ナルト、風呂、入らせて」
陶酔していたらしい俺の耳に、慌てたような先生のリアルな言葉が入り込んで、そんなギャップにすら、俺は萌えていた。


2013/01/05

続きます