胸に抱く 2




立ち上がって食器を下げる。
台所に行ったとき、シンクの向こうの窓が、もうすっかり暗くなっているのに気づいた。
居間の(そこで食べてたんだけど)柱にかかっている時計を振り返る。
・・・8時半、か。
別に、どうでもいい時間だけど、先生は独身だし、男だし、やっぱり、そういう気遣いは必要だよね。
先生、酔っちゃって、いつにも増して機嫌いいから、帰りたくはないんだけど・・・・
  「あ~、サクラ、俺、洗うからさ」
私の後から台所に入ってきた先生は、鍋をドンと置くと、酔って語尾を伸ばす緩いしゃべり方でそう言った。
ビール(発泡酒!!)2本でこうなるんだ、先生って・・・。
つか、近づきすぎだっちゅーの。
私の肩が、先生の胸にぶつかってる!!!
加齢臭撤回!!
なんか・・・いい匂い。
シャンプーか?
柔軟剤か?
  「や、あの、いいですよ!!結局、私、作らなかったし。片付けくらいやります!!」
  「そう?・・・ありがと」
うっわ。
なに、その舌っ足らずな言い方!!!
なんだかわかんないけど、その瞬間、私の頭に「無防備」という単語がチラ見えした。
・・・は?!
ちょっと待って!!
なにが無防備?
先生がってこと?
この30歳(でいいや、この際)の、オッサン忍者のどこが無防備?
おかしいんじゃないの>私!!(16歳)
  「先生、お酒、弱いの?」
実はザルな私が、問いただす。逆なら、酔わせていろんな事できちゃうよ。
いや、逆じゃなくても・・・・・ああ、どんどん思考が親父化。
  「俺?いや、野郎と飲んでるときは、気合い入ってるからなあ・・・・」
  「気合い?」
気合いってなによ?!
  「うん・・・負けられないだろ」
ああ、そう言う意味ね。先に酔うと男にもなんかされちゃうのかって、余計な事考えたよ、一瞬。
  「そういや、なんか・・・酔ってるね、俺」
言いながら、退場。
私は洗い物を片付け始めた。
  「テレビ見る?サクラ?」
居間に戻った先生がほざいている。
テレビって・・・・あ、でも、まだ帰んなくていいってことだよね?
私は、自分の心がうれしがっているのを、認める。
だって、本当だもの、仕方ない。
そこら辺は、結構、素直な私。
でも、ご飯一緒にって誘ったときは、あれだけ硬い感じだったのに、今は、もうこの空気。
  「おもしろいテレビあるの?先生?」
なんか家族みたい。
ああ・・・・
ちょっとしんみりする。
家族か。
今の先生には、ないもの、なんだ。
聞いたことないけど、お母さんもいないみたいだし。
たぶん兄弟もいないよね。
・・・・・
うわ・・・
心が痛む。
すっごい寂しいじゃないの!!!
ああ、私、今日来て大正解!!
私が先生の家族になるわ!!!
もう、7班だから、仲間だけどね。
家族は特別よ。
(このときはイルカのことを完璧忘却)
  「サクラ、終わったかい?」
うわっ・・・びっくりした。
いつの間にか台所の戸口に立ってこっちを見ている。
先生は背が高いけど、家の中で見ると、本当に大きく見える。
古い木造家屋だから、先生の頭半分、向こう側に隠れて見えない。
  「あ、終わったトコです!!」
手を拭きながら戻る。
先生も大人しく戻りながら、「動物のドキュメンタリーあるよ」と言った。
そんなこと言って。
普通すぎる、はたけカカシ。
普通の人なんだね、先生。
私が保証する。
先生にも、幸せになる権利はある!!!
今は、部屋の真ん中に置いてある丸いテーブルも(卓袱台の大きな感じ)、いつもは使ってなくて、私が来るから出してきたらしい。
これを数人で囲むってこと、してないのね。
普通の人なのに、普通の幸せ不足よ、先生。
先生は、新しいビールの缶を開けて、
  「サクラは・・・ジュース飲む?」
なんて言う。
ちょっと、やめて。
普通すぎるはたけさんって、もう、なんかツボなんですけど。
  「あ・・・でも、ないですよね?(笑)」
先生の家にジュースがあったら、それこそ悶え死ぬよ。かわいすぎて。
  「大丈夫。買ってくるよ、俺」
と、こういうときは忍者の特性丸出しで、立ち上がるのが早い。
  「あ、」
と言ったときにはもういない。
  「はやっ」
彼氏なら、とことん便利ではある。
  「サクラ~」
うわ、もう戻ってきた!!
  「は、早いですね、先生」
  「財布、忘れてた・・・」
ああ、私が返してませんでしたね。
私は、先生が差し出した手に財布を乗せる。こんな動作も、いちいち、なんだかときめく・・・感じ。
  「先生、私の飲みたいジュースわかるんですか?」
  「ミカンのやつ」
  「みかん???」
  「・・・あ、違うの?」
  「オレンジですっ!!」
  「あってるじゃない(ニコ)」
ちょ・・・・・
あ、行っちゃった。
みかんってなによ、みかんって!!!
やっぱおやじだわ。
・・・・でも、即答だったな~。
普段、先生、見てるのかしら、私の飲んでるジュースとか。
なんか嬉しいんだけど。
  「サクラ」
と、あっという間に戻ってきた先生は、レジ袋ごとそのまま渡すという、普通の男ならやりそうなことはしない。ちゃんと袋から出して、「コップいる?」と真顔で聞いて、「そのまま飲みます!」という漢な返事に、やっと、
  「はい」
と缶ジュースを渡してくれた。
  「ほら、これにはちゃんとミカンって書いてあるよ?」
もう一つ出した缶ジュースを見せてくる。
それにはレトロに「みかんジュース」と書いてあった。
それも「はい」と私の前に並べて、先生はテレビを指す。
  「これ、見たことある?」
ある。
いろいろあって、かわいそうな目にもあうけど、元気に生きていくシロクマの話だ。
でも、私の頭は、「みかんジュース」を「はい」と私の前に置いた、先生の一連の動作と声を何度も再生し、『あ、なんだろ、これ』と自問自答していた。
かわいいって・・・感じちゃうんだよね。
そりゃ、女の子特有の何にでも発生する「かわいい~!!」ってやつはあるけど、そういうんじゃないのよね。
なんていうか・・・・本当にかわいいんだよね・・・
  「サクラ?」
はっ!!!
  「あ、見たことありますよ。かわいそうですよ、かなり」
  「え?そうなの?」
と言った後に、先生が小さな声で「やばいなあ」と言ったのを聞き逃さなかった。
  「なんでやばいんです?」
そう聞き返しながら、実は、私は、もう、そこに悶絶フラグが立っているのを明らかに知っていた!!
絶対!!
先生の返事は、私を悶えさせる!!
確信があった。
だって、かわいそうな話がやばいんだよ!!
  「え?やぁ・・・だってさ」
うんうんうん!!!

  「部下の前で泣いちゃったりしたら恥ずかしいよね(照)」

ほら。
しかも、そこだけ「サクラ」じゃなくて「部下」を使っちゃう萌え技。
はあ・・・
・・・もう、認めた。
この人、こういう人なんだ。
愛でていいんだよ。
まわりから愛でられる人なんだ。
そういう人!!!
  「先生、そういう話に弱いの?」
  「うん。普通に弱い」
  「写輪眼のカカシなのに?」
先生は、優しく笑う。
そして、本当に愛おしそうに私を見た。
  「そうだよ」
やめて。
と、本当に言いそうになった。
マジに好きになっちゃうじゃない!!!
先生のせいだからね!!
私をその気にさせてるのは、カカシ先生の方だよ!!!
・・・・・・
・・・・・・
そう、まわりに思われちゃうから、顔を隠すのよね。
・・・・ごめんなさい。
先生。

テレビのストーリーは進み・・・・
シロクマのお母さんが銃で撃たれた。
  「あ」
と私が小さい声を上げる。
二頭の子供達が、いきなり倒れた母熊に駆け寄ろうとすると、危険を察知した母熊が、歯を剥き出して子供を威嚇した。
必死で追い返そうとする。
自分の側に狩人が来ることを知っているのだ。
子供達は理解できない。
怒られた子供のように、戸惑いながら、離れていく。
母熊を振り返りながら、初めはゆっくり、次第に早く、駆けて行く。
最後に振り返ったとき、母熊は首だけ上げて、必死に子供達の行方を見ていた。
・・・ああ、ダメ。
目に涙が盛り上がる。
横の先生を盗み見る。
盛大に泣いて、鼻水まで垂らしていた。
  「やだ!!先生!!(笑)」
はははは・・・・と二人で泣きながら笑って、
  「なんで先生と、こんなテレビ見てんの?私!!」
  「だから、はじめに言ったでしょ、ヤバイって(笑)」
先生は、テーブルの下に隠れていたボックスティッシュを出す。
二人で争って、鼻をかんで涙を拭く。
CMが流れて、もう、寂しい一人所帯じゃない。
  「ねえ、サクラ、このテレビの結末、知ってるんでしょ?」
鼻先を赤くして、拭き残した私の涙を、新しいティッシュで拭ってくれる。
ああ・・・もう・・・・
私も、先生の顎にまで伝った涙を手で拭った。
それは自然で、先生はそっと私のその手に触れる。
  「知ってる」
先生は、私の手を柔らかく握る。
  「教えて?」
  「どうして?」
  「安心して見たいんだ」
ははは・・・・
優しすぎる、先生。
どうして忍者なの?
そういう性格、忍者と関係ないの?
  「かわいそうなことにならないよね?」
本当に心配そうで。
そんな先生が、かわいくて。
愛おしくて。
私は思わず言っていた。
  「先生、私、先生の家族になります!!」
  「え?!」
唐突な私の言葉は、私の中では、全然、唐突じゃなくて。
カカシ先生はびっくりして、目を大きく見開いて、それでも、掠れた声で、
  「すごい結末・・・だね・・・・」
と言った。
触れていた手が自然と離れて、でもそれは、全然寂しい感じじゃなかった。





結局、結末を私から聞いて、安心した先生は、それでも感動的なラストに、またちょっと泣いていた。
帰る私を、当然のように、家まで送ってくれた先生。
昼の暑い空気も、今は程良く冷えて心地いい。
二人並んで歩くひとときは、心が近くて穏やかだった。
先生は、
  「いくら感動モノでも、いつもは、こんなに泣かないから」
と念を押すように言う。
  「動物に弱いの?」
たくさんの忍犬と契約してるくらいだものね。
  「う・・・ん。それもあるけど」
けど・・・?
  「あんなふうに家族が犠牲になるようなのは、弱いね」
ああ・・・・
奇しくも、さっき、考えていた事を思い出す。
先生の・・・・家族。
  「それに、サクラのせいでもあるなあ」
  「え?どういうこと?」
  「なんか・・・」
なんか?
  「楽しかったよ、晩ご飯」
先生の手が、いきなり私の手を握る。
びっくりした私が見上げると、
  「楽しくて、気が緩んだみたい」
と言った。
嬉しい・・・と思った。
  「だって、俺の家族になってくれるんでしょ?」
笑顔の先生に何も言い返せない。
ただただ、私は無言で頷いた。
  「お父さん・・・じゃないよね。サクラのお父さんいるもんね」
・・・・え?!
  「お兄さん・・・だよね」
笑ってる。
先生、「夫」っていう選択もあるんですけど。
っていうか、普通、そう考えるんじゃない?
優しい顔して無神経な先生に、私は言い返した。
  「いいえ!」
  「え?まさか弟?(笑)」
とことん、ばか。
  「お母さんになってあげます」
先生の足が止まる。
繋いだ手は、私の足も止める。
振り返って見た先生の顔は、さっき泣いたみたいにちょっと困って見えた。
私は先生の手を引いて、強引に進む。
だって、先生ったら・・・
何故か、また私も泣きそうになる。
だって、本当に、私に言いそうだったんだもの。

「母さん」って。





あれから何年か経って。
先生と時々、あの晩の事を話す。
それは、美味しい鍋の話や、みかんジュースのはなしや、かわいいシロクマの話だったりするけれど、欠けた心が重なった、泣ける喜劇は出てこない。
笑い合っているときも、時々、チクンとするような、幼い秘密は、私の心の奥に深く積もっている。

あの日の帰り道。
たぶん先生は絶対に認めないだろうけど、あのまま見つめ合ってたら、確実に抱きしめられていた、という私の感覚は、先生の秘密でもあるだろうなと、
私はそう、信じてる。




2009.07.28.