最強、最高!

ガラリと障子を開け放ったテンゾウの影が、初めからそこにあったみたいに雪の上に差す。
適度に冷えて、適度に湿った夜の空気は、降り続く雪の結晶を最大限に美しく大きく作り上げ、雪面を綿のように柔らかく見せた。淡く滲んだ自身の影の輪郭を、無目的に目でなぞり、テンゾウはゆっくり息を吐く。みるみる闇に溶けるような白い吐息は、その中にいくつかの雪の結晶を巻き込んで、小さな水の粒を飛ばした。
いつもなら、そろそろ寒いなどと文句をたれるはずのカカシは、背後で物音も立てない。そのちょっとした「異変」に無意識に微笑む。
縁側に近く降る雪は、テンゾウの影の周りに、自身の影を纏わり付かせた。テンゾウは、雪の降る音、という感傷的な文言を思い出したが、それが事実に基づいている事を今知る。
殺しの任務中は、単なる音響吸収剤にしか見ていなかった雪・・・。
「本当に音がしますよ」
テンゾウの静かな声も、さっと雪の闇に吸い込まれる。それでもカカシが反応しないので、もう一度、同じ言葉を繰り返そうとした時、
「どんな?」
と、カカシが呟くように言ったのが聞こえた。日常のそんな一言が、ジンという音をリアルに伴って、テンゾウを揺さぶる。
「シーン・・・・」
複雑な感傷を押し殺し、なぜか笑いそうになるのを堪えてそう返す。自身の擬音が景色に重なり、また闇に吸い込まれる様が、目に見えるようだった。
「え?」
「・・・っていう音です」
「・・・」
カカシは何も言わない。怒ったのか、呆れたのか、そもそも聞いていないのか。でも、そのどれであっても、テンゾウは構わなかった。だって、カカシがどう行動しても、何を言っても、どう決断しても、テンゾウにはなんの影響もない。すべてを受け入れて、今、あるのだから。
「穏やかな正月で良かった」
言って静かに障子を閉めると、ゆっくり振り返る。
カカシはさっきまでの姿勢で、炬燵に入ったまま頬杖をついて、その視線は、ぼんやりと目の前の食べ散らかされた食事の後を見ている。12時を回るまで、もと七班の連中が、ここで飲んで騒いでいたのだ。成長した子供たちから解放されたナルト達は、また再び、カカシの所によく集うようになっていた。
「みんな元気で、言うことなしですね」
考えなくてもスッと言葉が漏れる。それは、本心でも願望でも事実でもない様な気がする。正確に表現しようとするなら、空気のような実感だった。
カカシは応えない。障子越しの背後で、雪の音は静かに続く。
カカシのその生来の丸い背中が無性に愛おしく、テンゾウは部屋に進み、カカシを背後から抱きしめた。微かにカカシの鼻腔から「んっ」という声が息とともに漏れる・・・。
「寂しくないですよ、先輩」
ずっと反応がないからこれも独り言になるところだったが、やっとカカシが返す。
「はあ?」
カカシと触れ合ったところがじんわり暖かい。
「連中が帰っちゃったから、寂しくなっちゃったんでしょう」
「ほざけ」
「ふふふふ・・・」
テンゾウの笑う様に、カカシが振り返り、その横顔をテンゾウに見せた。
何度見ても、心が一瞬、みっともなく騒ぐ、本当に僕好みの顔・・・
「笑うトコなの?」
「ええ」
「・・・変なの」
「いいんですよ」
・・・幸せだから。
「ばか」
呟くようにしゃべるカカシの声を、その背中越しに聞く。
ああ、雪がこのまま止まなければいいのに。
こうやって、二人の上に降り積もって、静かに、穏やかに・・・ずっと・・・・

いろんな事も、苦しいことも、辛いことも。
ちょっとした些細なことも、嬉しいことも、喜びを感じたことも。
テンゾウの腕に力が入る。カカシの前に回された手に、カカシの手が重なった。僕ら二人に、言葉なんていう、空気を介さなければ伝わらないものなんていらなかった。 
そう、ずっと前から。
じっとテンゾウに抱きしめられるままのカカシの首筋を見る。銀髪が震えて、それはカカシの鼓動とシンクロしていた。自身の心臓が引き絞られる。
今なら思える。
いろんな事も、僕らの人生の、それは彩りだったって。
もちろん、世界を、神を、侮っているわけじゃない。
でも人間は、
「先輩」
「ん?」
「大丈夫ですかね?」
「うん?ああ、ナルト達か?過保護だねえ、お前」
ナルト達が帰ったのは、ちょっとした火の国との案件で呼び出されたためだった。せっかくの正月休みだが、もとより、職業柄、通年営業が常態だ。
「違いますよ」
テンゾウが笑いながら言う。
「僕、今夜、泊まっても・・・大丈夫です?」
今度こそ、カカシが振り向いて、テンゾウを見る。目が丸く見開かれていた。
「お前どうしたの?そんなこと確認するなんてさ。いつもなら、」
色っぽい展開にしようとしたって、もう、なりようもない。
テンゾウは、本当におかしくて、声を出して笑いながら、カカシを抱きしめなおし、強引に口付けた。会話を中断されたカカシは、ちょっとだけ不快そうに眉をしかめたが、素直にテンゾウを受け入れる。滑らかな舌の感触に、息が少しずつ上がって、テンゾウがさらに深く、その口中を探ろうとした時、目の前からカカシが消えた。
「っと・・・」
予測できなかったので、テンゾウは身体の芯を揺らして、床の畳に手を突く。
「何をしてるんですか・・・」
独りごとのように言いながら、寝室の方向を見る。カカシが瞬身で移動したのだ。自分はわざと、ドタドタと部屋を出て廊下を走り、カカシが寝室に利用している部屋の襖を開ける。明かりの灯っていない暗い部屋だが、瞬時に暗順応する目には、すべてが見える。いつ延べたのか、すでに寝具が敷いてあって、その上に胡坐をかいて座ったカカシがこちらを見ていた。
「先輩、これ、どういう趣向です?」
言いながら、布団の上のカカシに飛びついた。もう、カカシも笑っている。
「テンゾウ、遅いよ。オレ、待ちくたびれた」
互いに、その思考が生むのじゃない、心が勝手に笑うにまかせて、抱き合って、寝具の上に崩れる。
「焦らしちゃったかな。すみません」
くだらない会話も、じゃれ合う動きも、どれ一つとして欠けてはいけない二人の世界だった。カカシの顔を、唇を、瞼を、キスで愛撫して、決して互いの気持ちでは絶たれることのない関係を味わいつくす。上を脱がせると、カカシが自ら下を脱ぐ。テンゾウも、逃げないカカシの身体を、膝で固定して見下ろしながら、全部脱いだ。
障子が外の雪明りにボウっと淡く光り、その冷たい温度が、カカシの身体を照らす。瞼や脇腹、真一文字に切られた胸から腹部への傷だけではなく、数えきれない傷の痕跡が重なって、でも、とても美しい。細胞の性質か、テンゾウにそのような傷は残っていないので、なおさら、その泥臭い瘢痕が愛おしかった。
「先輩」
テンゾウの乾いた声に、ん?と言うように、笑んだまま目線を上げる。
「最強って・・・わかります?」
「え?最強?なに、突然・・・」
テンゾウはうなづく。その指で、優しくカカシの肌を撫でながら。
「・・・最強って、なんの?」
「なんのって・・・全部の。この世の中の」
「一番、強いって事?」
考えるように目線を固定するカカシは、多分、先の戦争の事を考えているっぽかったので、テンゾウは首を横に振った。
「強い奴はどこにでもいますよ。神のレベルまで含めたら、もう・・・」
「じゃあ、どういう最強?」
テンゾウの前では、その内面を素直に表現して、そのことに何も感じていないらしいカカシの、疑問を口にする様は、本当に可愛かった。テンゾウは無言で、カカシを抱きすくめる。テンゾウのスイッチを感じたカカシも、おとなしくそれを受け入れて。

降る雪は、時に障子をかすめて、本当にかすかな音を立てた。
 

 
耳を澄ます。
まだ夜が明けきらない時刻。
テンゾウの言う、雪の降る静かな音は聞こえなかった。
暖かい布団の中に沈み込みながら、テンゾウと繋がって満たされた心を、自分の身体ごと抱きしめて、カカシは深く息を吐く。
隣のテンゾウを見る。
向こうをむいて、その滑らかな頬と顎のラインを見せている。里で二人でいるときは、安心しきっていて、ちょっとやそっとでは起きやしない。
「テンゾウ」
小さい声で呼んでみる。
起きないままに、「ん」と喉の奥で何事か言うように音を出し、回した腕でカカシを抱き寄せた。
それなりに生きてきた自分の人生で、たぶん、今、初めてごく普通の「日常」を体験している。闘って殺して殺されかけて、何度も何度もスタート地点に引き戻されるような思考の循環を味わって、それでも時間は確実に自分をここに運んできた。良いも悪いもない。生きて生きて、瞬間的な生を重ねて、今あるだけだ。それでいいと思っていたし、思っている。テンゾウと、落ち着いた関係を築くことができて、今はここが自分の居場所だ。
「テンゾウ」
「なんです?」
「!・・・起きてたの?」
「これ、寝言です」
「はははは・・・変な寝言」
テンゾウの腕に力がこもり、変な寝言は続いた。
「先輩」
「なあに?」
「最強なのは、僕らですよ」
その言葉の持つ、強い揺るぎのない確からしさに、カカシは、テンゾウの顔のラインを見上げた。
長く、テンゾウと生きてきた。
まだ十代の時から、まだ暗部の仲間だった時から、でも、互いの思いの熱量は感じていた。
決して裏切らない。
それは互いを、というより、自分の信じるものを、であり、その一点で、カカシとテンゾウは完全に一致していた。
苦しいことも、死ぬほど苦しいことも、
切ないことも、気が違いそうになるほど認めたくないことも、
こうしていると、それは、静かに降り積もる雪のように、自分の時間の中に沈んで行って、そしてテンゾウは、ずっと今感じているような体温のように、常に傍にあった。
最強だと言ったテンゾウの理屈はわからないが、その言葉を発したテンゾウの肯定的な意志の力はストレートに感じる。
「ああ・・・」
我知らず、満足の間投詞が漏れて、でも、二人の身体の間を遮るものがない感覚に、心底、満足していた。


いつの間にか、またウトウトしたらしく、カカシが気付くよりちょっとだけ早く、テンゾウは、耳を澄ませていたらしい。
「聞こえますね」
深く頷いて、テンゾウの言う「シーン・・・」という降雪の音を聞く。また、雪が降り始めたようだ。
「明日から仕事です」
まだ今日一日あるという余裕からか、テンゾウの声は低く落ち着いていた。
「まあ、彼らに任せとけば問題ないですけど」
「うん」
「木ノ葉には、さらに、最強の先輩と、最強の僕が控えているから、今年も里は安泰ですね」
「自惚れ屋だな」
突っ込みながら、でも、テンゾウの講釈を微笑んで聞く。
「え?だってそうでしょ?」
そう言い返すテンゾウの声には微塵も照れやふざけているような空気がない。
カカシが、顔を上げ、テンゾウの顔をまともに見る。
テンゾウも、カカシをまともに見返して続けた。
「いろんな事あったけど、こうして僕ら、幸せじゃないですか」
「・・・うん」
「ね!」
なにが、ね!なんだ、こいつ・・・
テンゾウがその腕で、カカシの首を抱きしめる。
「っ、あ!」
上向いた唇に、音がするような派手なキスをかまされて、驚くカカシに、満面の笑みを浮かべたテンゾウが言う。
「どんな運命のチャレンジも、ハッピーエンドには勝てないんですよ!」
カカシが、喉の奥で息を飲む。
「どんどん、これからも乗り越えていこうじゃありませんか」
こんな話題で饒舌なテンゾウを初めて見る。
「先輩と僕は、この幸せを選んだんです」
障子の向こうに、それまでのぼやけた雪明かりじゃない、オレンジ色のプロミネンスが映る。
「オセロみたいなもんですよ。最強が二人いれば、十分。ナルトも、サスケも、サクラも、サイもそうですね!」
何か言いたいのに、声が出ない。カカシは、ただただ聞いていた。
「幸せは、選択なんだ」
言いながら、テンゾウが自分の言葉に頷く。その横顔に、顔を出し始めた朝日の、まっすぐな光線が差し、カカシはみとれた。
「その結果は当たり前に幸せです」
テンゾウにこう言わせてしまうほど、昨夜の自分は落ちていたのだろうか。
涙が滲む。
「僕たちは最強!それで、里も、全員幸せに最強にして、あとは、世界を・・・?」
テンゾウがカカシの涙を認めて、言葉を飲み込んだ。
「先輩・・・」
昇りはじめた太陽は、グングンとその輝きを増し、障子越しでもくっきりとその輪郭を見せる。部屋中を橙色の空気で満たし、カカシは眩しさに目を細めた。滲んだ涙は、今は、頬に落ちる。たぶん、交合以外で初めて見るカカシの涙に、でもテンゾウは、それを指で拭っただけだった。

「またいつも通り、朝が来ました」

そう言って。
 

 
「うわ・・・後片付けがありました」
昨夜の宴の後を前にテンゾウが悲鳴を上げる。
「招集かかったもん。仕方ないよね」
いつもなら、きっちり後片付けもしてくれる優しい教え子なのだ。カカシが皿を重ね始めると、それを見てテンゾウがくすぐったそうに笑う。
「なによ?」
「いえ」
締まらない笑顔でテンゾウが言う。
「お前も手伝えよ」
「もちろん!」
テンゾウが張り切って、大方を重ねて台所の方に運んでいく。
皿がカチャカチャなる音に混じって、テンゾウの
「最強、最高!」
という独り言が聞こえて、カカシは思わず笑った。



【終わり】
【H31/01/06 Pixiv up】
【R01/06/18 LR up】