聖夜 [ナルトサイド]




初めてカカシ先生の顔を見たときのことを、今も時々思い出す。
  「別にこんな事、なんでもない」
確かに先生はそう言って、口布を下ろした・・・


***


俺は、白く曇る窓ガラス越しに、淡色の戸外を眺める。
つい一時間前に降り始めた雪は、もうすっかりあたりを覆い尽くして、一面を白く塗り替えている。
人手不足の里の任務に追われて、やっと休みの目処がついたのが昨日の深夜。
  「明後日に、またBランクが2つ入ってる」
五代目の声を背後に聞きながら、俺は次の仕事の書類に目を通していた。
  「だから、今日は休め」
  「え?今日?」
もう日付は変わっていた。
  「了解」
何を言う元気もなく素直に返すと、報告書に日付を入れて五代目につきだし、俺はまだ暗い寒空の下、迎える者のいない自室に戻ってきたのだ。
冷えたベッドに潜り込み、なんとか再び起きれるくらいには眠った。
起き上がり、ガスストーブをつける。
鼻がツンとするほど冷えた室内の空気に、窓から外を見ると、いつの間にか雪が降っていた。
それから、もう一時間も外を見ている。


遠くに見える色とりどりの電飾やデコレーションで、「クリスマスイブか」と気づく。
今日が12月24日だってことは、報告書を書くときにもわかっていたが、そのときは単なる日付としか認識していなかった。
そして、気がついた今も、別に強がりでも何でもなく、俺はまだ今日という日を、客観視している。
  「一緒に飲む相手もいないしな」
クリスマスといえば馬鹿騒ぎのパーティーしか思いつかないが、とにかく忙しくて、同期の連中ともそんな話は一切なかったし、たまたま俺は休みにあたっただけで、サクラもシカマルも、探したところでたぶん徒労に終わる。
  「イルカ先生は走り回っていたな」
こんな時にこそ楽しみは必要だと、何かの準備に追われていた。そう言えばすれ違いざま、俺のポケットに小さい物をねじ込んできた。
一時間も陣取った窓際から離れると、床に脱ぎ捨てた上着のポケットを探る。
  「飴・・・だな」
白と赤と緑のストライプの飴だ。ステッキをかたどってある。
その飴を咥えて、俺はまた、飽かず窓の外を眺めていた。
遠くに見える電飾の一つが、見ようによっては赤提灯にも見えて、そのロマンチックじゃない思いつきに一人にやつく。
赤提灯の連想は、たやすく、ある情景を思い起こさせる。
あの日の夜。
  「お前はジュースだ」
そう言いながら、でも、その声音になんの拘束の色も漂わせず、カカシ先生が前を歩いていた。
たった半年前の事なのに、疲れた頭には、もの凄く遠いことのように映る。


***


  「ナルトはまだまだだね」

2年ぶりに再会したカカシ先生と俺は、場末の飲み屋で向かい合っていた。
  「まだまだって・・・・どういう意味だってば?」
俺は憤慨して先生に指を突きつける。
再会を祝して、とグラスをあわせた途端、それはないよな。
  「鈴だって取ったぜ?」
と、先生の目が『にっ』と笑い、あっさりその口布を下ろす。
  「あ・・・」
  「別にこんな事、なんでもない」
言い捨てて、グラスのビールを飲み干した。
  「見たかったんだろ?」
  「・・・う、や、まあ・・・」
さてさて、差し向かいでどうやって食べるんだろうな、という意地の悪い興味はあった。それが顔に出ていたんだろうか?
  「だから、まだまだって言ったんだ」
唇の端をクッと上げて笑む先生は、一瞬、見とれるほどいい男だった。
  「ガキみたいな事に神経使ってんじゃないよ」
  「出し惜しみしてたな・・・」
そう言い返すのが精一杯だった。
  「は?そんないいもんじゃないでしょ?」
イヤミか?
それとも・・・天然か?
  「いい男だよな」
  「なに言ってんの?」
  「いい男だって言ってんの!!」
  「!!」
・・・・天然決定だ。
本当に驚いている。
んで。
みるみる赤面した。
なんなんだ、この人・・・・
  「自分の顔・・・・見たことある?」
  「なんだよ、それ」
  「自覚ねぇだろ?」
  「はあ?」
と、まあ、なんか変な会話の流れになって。
先生はそそくさと口布を戻し、食べるときと飲むときだけちょこっと下げるような、妙によそよそしい感じになってしまった。
そのあと、どんな話をしたか、あまり覚えていない。
くだらない、旅のこぼれ話だったか。
旅の同伴者はエロ仙人だったというのに、なぜか色っぽい話を避ける俺と、聞いているのかいないのか、ただ曖昧に頷く先生は、そんな空気にも関わらず、看板まで居座ってしまっていた。


***


  「積もりそうだな」
自分の声が、窓ガラスをほんのり曇らせる。
その向こうに、白い景色の中、歩く人影を見た。
  「カカシ・・・先生」
少し背を丸めて歩く姿は、見違えようがない。
曇ったガラスをキュッと拭くと、水滴が残って滲む景色の中を、ゆっくりと先生が歩いている。
どう考えても、俺の家を目指している・・・・よな?
硬く凍り付いた窓を、バリッと開ける。
フワッと冷たい風が粉雪とともに吹き込んで、俺を認めた先生はちょっと驚いて、でもすぐに片手を上げた。
  「カカシ先生!!」
俺の声が、白く外気に吐き出され、そのまま雪に紛れて消える。
  「どこに行くんだってば?」
俺の大声に『待て』と手をかざし、こちらに歩いてくる。
雲から千切れて落ちてくるような雪が、先生の髪に乗っている。
何度か転けそうになっているその姿に、俺はぼんやり初めて出会った時の事を思い出した。
今見る雪のように、白墨の粉をかぶった先生。
噂と実際のあまりの違いに、手配書に載っている同姓同名だと思っていたくらいだ。
戦闘が始まれば、それはもう、「コピー忍者のカカシ」以外の何者でもなかったが。
いい男と言われて赤面すらするこの人を、そして、この人のことを考えるとわけがわからなくなる俺の感情の有様を、・・・・俺はどうしていいかわからなかった。
  「ナルト、やっと休めたみたいだな」
少し高い位置にある窓の側まで来て、俺を僅かに見上げる。
  「ああ。休めって言われたんだ。俺はもう次の任務OKだったんだけど」
  「頼もしいな(笑)」
先生の、ちょっとだけ見えている頬の部分が、うっすらと赤くなっていた。
  「そんなことより、どうしたの?どっか行くの?」
  「お前のトコに来たんだよ」
あえて聞いたが、あっさりそう言った。
心臓がドクンと大きく打つ。
  「ん?なんで?」
  「とにかく、寒いから中に入れろよ」
おっと・・・・・
先生の素顔を思い出していた俺は、ちょっとドギマギした。


  「寒かったよ、雪だもんな」
暖かい室内でたちまち雪は溶け、ボタボタ水を落とす先生に、俺はタオルを引っ張り出してきて手渡す。
あ。
顔、出してるし。
頬と鼻が赤くて・・・・・
かわいいなあ・・・・
かわいい・・・・?
かわいい・・・よ。
  「30歳には見えないな」
思うより先に、そう言っていた。
  「29歳」
思いがけなく返されて、またとっさに言い返す。
  「同じだよ」
  「ふうん。お前は、29両に30両出しておつりをもらわないんだね」
  「・・・・・」
  「それなら俺もいいよ、30歳で」
年齢にこだわる?先生はちょと変な感じだった。
ふっと窓に目をやる。
昼を前にして、でも、雪降る空は重く暗い。
  「で?」
  「え?」
  「どうしたの?急に」
  「お前は急にって言うけど、そうでもないんだよ、これが」
  「は?」
約束してたっけ、俺?
っていうか、そんな大事な事、いくらなんでも忘れねえ。
は?
だ、大事な事?
俺の基準って・・・・・・
俺が混乱していると、先生はポケットから小さな包みを取り出した。
  「毎年、来てたんだぜ」
  「え・・・は?」
  「変かな?いや、そういうファンタジーこそ必要だって、イルカ先生も・・・」
  「ち、ちょっと待って。ちゃんと説明してくれってば?」
ああ・・・ごめん、と、カカシ先生は息をつく。
  「毎年、まわってたんだ、お前達の家」
  「・・・・・」
  「クリスマスとか、イブに」
  「クリスマス・・・」
  「いてもいなくても、こんなの持ってさ」
俺の目の前に、小さな包みを突き出す。
カサカサというシワになったクリスマスカラーの包装紙の中で、澄んだ音がした。
  「す・・・鈴?」
  「ああ」
突き出されるから受け取って、俺は包みも開けず、先生の顔を見た。
もう、頬も赤くない。
こんな事に、いちいち言い訳のように照れなくていい間柄になったんだ・・・と思う。
先生にとって、俺はもう子供じゃないんだ。
  「笑いそうだろ」
  「え・・・」
俺の方を顎を引いた上目遣いで見る。
  「いいんだぞ、笑っても。俺の自己満足だからな」

ふうん・・・・

俺は包みを振った。
鈴の澄んだ音は、
  「ホントだ・・・」
とても懐かしく、テストされたあの頃の自分が切なく思い出され、
  「いい音だね」
そんな切ない景色ごと、丸ごと抱きしめたい俺自身に気づく。
  「原点だ」
そうつぶやく俺の気持ちは、カカシ先生に正確に伝わっていた。
  「笑うわけないだろ?」
そう言う俺に、にっこり笑い返すと、先生はスッと覆面を戻す。
  「さ、俺は帰るよ」
  「え?もう?」
  「だって、コレを渡すために毎年通ってたんだもん、お前のトコ」
  「マジ?・・・じゃあ、去年も?」
そのときちょっとだけ、先生が言い淀む。
  「え・・まあ、いないとはわかってたけどな、一応・・・」
先生は頭を掻きながら、ドアの方を向いてしまう。
何だろう・・・・この気持ち。
  「サスケやサクラには、鈴取りの次の年には渡せたんだぞ」
先生の手がドアのノブを掴む。
  「お前だけ、今までかかちゃった」
それが神様が仕組んだ何かの暗喩かもしれないと、俺はどこかで感じていたが、はっきりとは認識できなかった。
軋んだ音とともにドアが開く。
  「先生」
さっきより賑やかに降っている雪の中に、忍服の鈍い色が溶け込む。
  「ん?」
振り返った横顔は、同年代の少年のように感じられた。
  「ありがとう」
返事をする代わりに片手を上げて、来たのと同じスローな動きで、カカシ先生が出て行った。


降る音が聞こえそうなくらい、ゆっくりとたくさんの雪が落ちてくる。
遠くで街頭放送が聞こえ、さっき聞いたような澄んだ鈴の音が音楽に乗っていた。
先生の感傷をも抱きしめたい自分は、もうとっくにガキじゃないと、硬く鈴を握りしめる。
もう一度、確かめようと思って見た丸い背中はあっという間に白く塗りつぶされ、今ある心の痛みが、自分のものなのか、先生のものなのか、俺にはもう、わからなかった。



2008.12.14.[前半]/12.20[中盤]/12.21.[後半]