聖夜 [カカシサイド]




あんな目をするなんて、思いもしなかった。


カカシはそっと喉を押さえる。
カラカラに渇いたそれは引きつって、唾液すらスムーズに落ちていかない。
息が苦しくて、口布を下ろした。
鈴を渡すという熱血教師がやりがちな事を、自分がしているという気恥ずかしさに、ナルトのまっすぐな視線を感じてようやく気づく。
  「だから、笑えって言ったのに」
落ちる雪が唇に乗って溶ける。
そのチリチリとした痛みに、かさついた唇を何度も舐めた。


***


ナルトに鈴を渡したあと、また、待機所に戻る。
殺伐とした世情をよそに、そこここにちょっとした季節の飾り物があって、こんな所にもざわついたイベントの空気が漂っている。
  「大きな人殺しの前みたい」
誰にも聞こえないようにつぶやく。
30年近く生きてきて、いろんな有事の里を体験してきたが、何か大きな凶事の前には、いつもこんな穏やかな時間が流れていた。
対比がもたらす錯覚かもしれないが、カカシはじんわりと身体の奥に、予感と緊張を絡ませた不定形の塊を感じていた。
椅子に腰掛ける。
聖夜のイベントで賑やかにはしゃぐ様を眺めるポジションは、進んでいく思わしくない事態を、たった一人で客観視しているような孤独な気分にさせる。
子供達の所に行くという赤いサンタの衣装を着た人間が、ついでに職員にも飴を配っていた。
カカシの側に来て、当たり前のように飴を手渡す。
思わず手を出してもらってしまったそれは、確かにさっきナルトが唇の端に咥えていたのと同じ色をしていた。
  「ナルト・・・か」
賑やかな室内を背に、暗い窓の外を見る。
暗い景色に、暖色の民家の窓が散らばっている。その奥に、穏やかな聖夜の時間を含んだ窓は、本当にあたたかな温度を感じさせた。
ナルトも今、その時間の中にいるのだろうか?
カカシがその家を訪れたとき、彼はぼんやりと窓の外を見ていた。
  「ナルト・・・」
理屈はいくらでもつけられる。
  『金髪碧眼はトラウマだってね』
でも、こんな気持ちじゃなかった。
こんな・・・・わけのわからない衝動じゃなかった。
  『何かのせいにしたいだけ、なんだろうな、俺』
実際それは、気を緩めれば胸を突き破るような激流へと、あっさり正体を晒すような激情で。
気づかないふりをして、何かと誰かのせいにして、
  「ナルトが好きかも」
っていう俺自身を誤魔化して。


  「カカシ!!」


不意に呼ばれて振り返る。
その動きは落ち着いていたが、『好きかも』という胸中をなぞっている瞬間だったので、心臓は飛び出しそうになっていた。
目の前に、五代目の顔がある。
  「火影様・・・」
  「へえ~?」
五代目の鋭い目が面白そうにカカシを見、何か言いたそうに言葉を含んだままの唇をニッと歪める。
  「・・・な・・んでしょうか?」
  「いや、お前にも、悩みがあるんだなと思って(笑)」
  「・・・・・」
相手が五代目じゃなければ「は?」と言い放つ所だが、カカシはこらえて先を促す。
  「御用でしょうか?」
  「・・・いや、逆だ。派遣してた中忍どもが戻って来たんだ。それで」
一時的だが人手が足りてきたので、激務の続いている人間を交代で休ませようと・・・・カカシに声をかけたきたというわけだった。
  「1日しかやれないけどね」
  「ありがとうございます」
こんな気持ちで休みをもらっても持てあましそうな気がしたが、カカシは礼を言って立ち上がった。
と、戻りかけていた五代目が、はっと振り返る。
  「カカシ、まさか悩みって・・・」
  「・・・はい?」
  「恋煩いか?」
  「なっ・・・」
軽く返せず、固まってしまったカカシに、五代目はおかしいような気の毒のような複雑な顔をした。
五代目の手がカカシの肩にかかる。
  「綱手さま・・・」
  「カカシ、なんかあったら言えよ」
  「あ・・・はい・・・」
  「遠慮するなよ。私は、お前の親替りのつもりだからな」
カカシの目をまっすぐに見て、それに気圧されてカカシが頷くと、綱手も頷いて、そのまま行ってしまった。
  『心配されてしまった・・・・・』
あ~あ、情けない、と頭をかき、待機所をあとにする。
雪は降り止み、地面を覆った雪は暖かな絨毯のようで、カカシは自分の足跡を振り返って見る。
遠くから、賑やかな街の喧騒が聞こえてきて、そういう時間から遠ざかっていた自分の生活をぼんやりと考える。
  『ただ庇護を要する者は、俺は苦手だな、やっぱり』
自分の死んだあとを憂わざるを得ない者を、身近に置いては置きたくない。
  『質を問わず、生に執着しちゃうからな』
その点、ナルトは合格だった。
  「なんだ、俺、結構、そういうこと気にして好いたりしてんのかな?」
思考はそこまでだった。
ふっと顔を上げると、自分の家への道を大きくそれていた。
毎年、ナルトに鈴を渡せず、そのあと自分がしていたことを、今年、完遂したのに無意識にトレースしているらしい。
カカシは頷くと、背後の景色を振り返った。
暗い空に、もっと黒く山がそびえている。
カカシの足は目的を持って歩きだす。
雪の上に点々とつく足跡は、次第にその間隔を広め、今は飛ぶように走っていた。
皮膚が冷え切って、たぶん、外気と全く同じ温度だ。
でも、走る身体は熱くて、ナルトの事を考えるとじんわりする心の中も熱くて、寒さは感じない。
吐く息が熱く耳をかすめ、後ろに飛び退る。

毎年、俺は山に登る。
火影岩のある所じゃない。まさか、そこまで不遜な人間じゃない。
全く反対方向の、山・・・いや、丘。
木々が生い茂っていて、多分、普通の人はそう楽には来れない高み。

もう夜だというのに、降り積もった雪と、落ちそうに輝く星のせいで、行く道は明るかった。
音はすべて雪に吸収され、自分の呼吸音だけが大きく耳に聞こえる。
放射冷却で、見事に下がった気温は、でも、聖夜にはふさわしい清々しさだった。

  「好きだ」

固有名詞を抜いて、そう言ってみた。
抜く足が雪を蹴散らし、雪けむりが立つ。

  「 す き だ 」

ゆっくり言ってみる。
急に、心臓をじかに掴まれるような羞恥心に、一瞬息を止める。
と、視界がパッとひらけて、雪を纏った異様の木々の間から、里の明かりが見えてきた。
  「はあ・・・はあ・・・」
里が全部見渡せる所まで来て、忍者らしくなく、思いっきり肩で息をする。
遠くチラチラと輝く里の明かりは空の星のように美しく、街の賑やかであろう空気も、ここまで離れると、ガラス越しに見ているように音がしない。
あるのは、自分の呼吸音と白い息だけ。
毎年、数日ずれることはあっても、ここから里を見下ろして、俺は自分の心を確かめてきた。
どんなことがあっても、どんな目にあっても、ここに来ると、俺の心はブレから脱する。

  「でかいな~、俺の愛!!」

どうせ、誰も聞いてない。
そうだ、俺は平和が好きなんだ。
嫌いな奴なんていないだろうけど、恥ずかしがることもなく、臆すこともなく、俺は叫べる。
綺麗な色とりどりの光に、俺はふと思いだし、ポケットからカサカサなるセロハンの包みを取り出す。
これも綺麗な緑の透明な飴。

  「ナルト」

俺の気持ち、わかる?
ねえ、ナルト。
お前だから好きなんだよ。
誰よりも、このじんわりとする「大きな愛」を知ってるお前だから、

  「片思いで、いいんだっ!!」

「愛」の『感覚』を知っているお前のためなら、俺はどんな事でもする。
本当だよ、ナルト。
言葉にすれば、嘘が混じるセリフみたいに陳腐だけど、今夜は『聖夜』だよ。
ロマンチックに浸っても許されるよね。
っていうか、「愛」を堂々と実現するお前が、もう、最高にロマンチックだよね。
遠く里に緑の飴をかざす。
ついで、冷えて硬いそれを口中に入れ、俺は甘い唾液を味わった。


***


いつの間にか、また雪がちらつきはじめる。
冷えた肌に、さらに冷たく雪は落ちる。
いろんな不吉も不幸も、ナルトという存在に全部寄りかかって耐えている自分を、
俺はこれ以上、どう表現しよう?
陳腐なのは、もしかしたら教え子に欲情してるかもしれない俺の「愛」だって認識して・・・・
だからどうなの?
飴を唇に咥え、ナルト自身をなぶるように、俺はそれを舐めた。
嘘の方がよっぽどいいだろ?
「欲しい」なんて、どっかで思ってるかもしれないけど、言わないし。

  「甘い」

ホントは苦いんだよ。
でも、俺は嘘を言う。
好きも嫌いも、本当はどうでもいいのかもしれないし、欲情して火照っている身体だけは・・・・確かだけど。
最悪だろ、俺。
嘘の方が、やっぱりいいよね。
ナルト。
ナルト。


視線を転じて空を見上げる。
思いがけず頬を伝い落ちた涙は、熱すぎて、冷たい雪より痛かった。



2008.12.30.[前半]/12.31.[後半]