37℃の空




執着を支えているのは、まだ何も知らないという、ありふれた好奇心かも知れなかった。
無防備に近づいてくる彼を、あたかも両腕を突っ張るようにして突き放しているのは、冷静さでも落ち着きでも、
とにかくそんなものではなくて。
  「どう思うだろう?」
ただ、この突き上げる性欲のためだって言ったら。

初めて見る、サクラに見せた同意の頷き方とか。
初めて見る、ナルトの肩を感情を込めて叩く時の空気とか。
初めて見る、火影にからかわれて少しだけ赤面している様とか。
初めて見る、不意に振り向いて、笑いかけるその動きとか。

全部、知らない。
全部、見ていない。

まだ、知り尽くしていない。
まだ、見尽くしていない。

奥へ奥へ、ただ次々と知るその瞬間だけ、鮮烈に彼を感じている。
だから、こんなに早いスピードで、彼に近づきたくない。
こんな感情が、僕の、距離を保っていたい理由だと知ったら。

結局、
僕達にはゴールがないから、

いつもこんなに不安になる。





カサリと落ち葉を踏むような音がして、でも、辺りには春の陽気が満ちている。
枯草色の奥に、濃い緑の芽が伸びていた。
  「30回」
そう言って、足下を見たから、その回数はなんらかの動作から導き出したんだろうと思った。
やっと暖まってきた地表の空気を、春の風が掻き乱す。
遠くで木の梢を鳴らしながら、今は、彼の髪を乱暴に撫でた。
  「何がです?」
今の関係なら、イチイチ聞きやしないが、昔の自分なら、イチイチ尋ね返したろうなと思って、そう言った。
  「春だよ」
・・・・・え?
  「春の数」
春は数えるものじゃないよな・・・・あ、そうか。
  「過ごした数ですか」
  「そ」
そう言って、乱れた髪を形のいい指で梳く。
自分がいい男だって認識していない彼は、そんな仕草も「目的以外」が排除されていて、見ていて好ましい。「うっとうしいから髪を梳く」以外に生じがちな「ちょっとキザに振る舞う」「視線を意識してかっこつける」そして「それらが癖になってしまっている」ということが一切なかった。
  「先輩の顔、整っていると思いませんか」
年齢の話なんかすっ飛ばして、思ったまま言ってしまった。
  「どうかな。あんまり、特徴のない顔だよね。個性がないよなあ」
凄い。
本当に、何も考えてない。
でも、特徴ないってのは、整ってるってことだけどな。
  「目の傷で、かろうじて個性的になった(笑)」
そう言って笑って、自分の凶暴な魅力に気づかない。
本当に・・・・

悪い人、だ。

と、

  「お前の顔だってカッコイイよ」

え?

思わず凝視した春の色を乗せた顔は、また、僕が知らない感情を満たしてこちらを見る。それは、淡い色の髪が風に揺れて、本当に桜が散るように、儚く豪華な面差しだった・・・
驚きながらも心のどこかではうっとりとそれを見つめ、この人にカッコイイと言わせたことが申し訳ないようなおかしな心境に陥って、慌てて否定しようとする僕の、その手にひんやりとした手が重なる。
僕の目はさらに大きく見開かれたに違いない。
  「ああ、こいつに抱かれたんだって思うと、」
え?!!
  「こんな道端で疼くよ・・・・恥ずかしい(笑)」
・・・・
  「お前、見た目大人しそうなのに、あっち凄いよね」
ちょ、まっ・・・
  「でも、あんなに感じたのは・・・・あれ?怒った?」
  「・・・それ以上、喋らないでもらえますか?」
  「ははは・・・怒ってる(笑)」
美しい外見のニンフォマニアは、可笑しそうに春の水色の空を仰ぐ。
本当に、口さえ開かなければ、ど真ん中の儚い美青年は、あはあはと豪快に笑って。
あと数年若ければ、僕はあっけにとられてしまっただろうけど、今は、剥がれ落ちるベールにしか感じない。
同じ人なんだ、と、僕は心の中で何回も繰り返す。
セックスでいくら受け身でも、やっぱり先輩は男で、彼が甘えてくるときは死にそうに幸せだが、僕をからかってこういう事を試すように言う彼はやっぱり、男で・・・・ああ、ごちゃごちゃしてきた・・・・
だから、
  「かわいい」
と言われて、力強く腕ごと抱擁されたときは、その混乱がスッと鎮まって・・・・
  「かわいい?」
  「ああ・・・なんかごちゃごちゃ悩んでるお前、かわいい・・・」
  「・・・・・」
今度は僕が、春の空を仰ぐ。
高い所を薄い雲が飛び、強い風も暖かい。
僕が先輩に色々を見るように、彼もそうなんだと、珍しく納得して、先輩を見る。
先輩がさらに何かを言おうとしていた。
  「いや・・・さ」
いつも先輩の言葉はよどみなく、もし、言い淀むような事であれば、初めから諦めて話さない、という傾向を、僕は知っていた。だから、実際、言葉に詰まる先輩を見るのは新鮮で、僕は、目を見開く。
  「なんだろ・・・これ」
  「え?」
返す僕の声は掠れて。
  「なんだかね、」
先輩は、ゆっくり瞬きをして、喉元を抑える。
  「すごくへんな感じだ」
何が、と問い返すまでもなく、それは、先輩の気持ちのことだとわかる。
  「変な、感じ、ですか・・」
  「うん・・・寂しいというか」
日が、強く射しはじめ、その透明な色味に、彼の髪が柔らかく解れている。
色の薄い睫毛は、チンダルのホコリの中で、自分より強い男のものには到底見えない。
  「・・・なんだか切ない」
別なシーンなら、確実に笑っていた。
でも、それは、強烈な予感で、なぜか鳥の声が急に耳に戻る。
  「春・・・」
  「え?」
先輩の眼がこちらを見る。
  「春?」
  「人間の都合なんかお構いなしに、地球は回ってますからね」
  「・・・・・」
  「また、否応もなく、春がきたんじゃないですか?」
どういうことよ?、と、ちょっとムッとして、先輩が言い返す。
  「俺の頭にってこと?」
うわ。
このひと、おもしろい。
じゃあ、さっきまで不安で寂しかった僕も、頭の中、春ですよね!!!
  「なに、笑ってんの?」
  「二人でいれば、いろんな事が増幅されるってことです」
  「はあ?」
タイミングよく・・・いや、悪く、遠くで鳶がピ~ヒョロロ・・・と鳴いた。
間抜けな空気に、先輩が不機嫌そうに僕から離れる。
ふっと二人の間に流れた、暖かい風に、
  「ピーヒョロロだってさ・・・」
と、何か諦めたようにつぶやいた様がヒットして、僕はもう、何もかもどうでもいいように、思いきり、笑った。



2010.06.27.

5.23.拍手アップ。