3 花火を見る

[本当は「甲」とすべきなのでしょうが、なじみがないので「テンゾウ」にします]


どんな残酷な人生にも、平和な時間があり、どんなに忙しい業務の中にも、ポカッとあいたヒマな時間はある。
今日はまさにそんな日で、さあ、仕事に行こうかと門の脇で、遠くを眺めたテンゾウの目に誰かの式らしい紙飛行機が飛んできた。
夏も盛りの炎天下、視覚だけで追えば、光に紛れてしまいそうだ。
「ふざけすぎだ」
テンゾウが、それを手に取る。フシュという音と共にそれは消え、戻れという仲間の小さな声がした。
「なんだ、手違いでもあったかい?」
ロッカールームまで戻ると、暗部だけど、普段は事務員に紛れている奴が、
「先にやられちゃってたみたい」
と言う。伝達伝令を主にこなしている同期だ。
「過去形?なに、分身かなにか?」
「たぶん」
テンゾウは面を取って、あちこち裂けている長椅子にドンと腰掛ける。
薄暗い室内に、椅子が床を擦る甲高い音がした。
つまりだ。
とある人物の始末を頼まれたのに、そいつがとっくに死んでいることを見抜けず、木ノ葉はミッションに突入した、という間抜けな話らしい。
「最近、偵察が雑すぎるよ」
「平和ボケ」
「ボケですまされるかって。出発してたらどうすんだよ」
「たっぷり二日はかかるよね」
同期は表情だけで笑ってみせる。
「行くだけでね」
テンゾウも仕方なく笑う。
「どうせ、依頼者に利用されたんだろ?」
「ご明察。遺産争いが絡んでるみたい。今日まで生きてることにしたかったみたいだ」
「フン。分身相手に暗殺まで依頼して、生きているっていう担保にしたか」
「というわけで、違約金で終了、お前は休暇、五代目様の伝言だ」
テンゾウは笑って頷く。
「さすがに、そこは火影様の良心かな」
「まあな。酷使しすぎて、ここが疼くんだろう」
事務員のなりで、そいつが自分の胸を叩いた。



プライベートではほとんど官舎から出ないが、思いがけない休暇はテンゾウの気分を上げる。
ちょっと外出しようという気になったのだ。
サンダルをつっかけて、日が傾き始めた街に出る。
空気は熱い塊のまま、街にどっしりと居座っている。久しぶりの街の空気は慣れなくて、歩いても風はなく、数分もすると汗が滲む。
初めは流れる人並みを楽に避けて歩いていたが、なんだかそれは普通ではない気がして、たまに肩をぶつけたり、そんな馬鹿げた工夫を凝らした。
人の流れに逆らって歩いていることに気づいたのは、もうだいぶ東の空が暗くなってきた頃だった。

なにか向こうにあるのだろうか?

テンゾウが振り返るのと、ほぼ同時に1発目の花火が上がる



不意を突かれて、見事に広がった花火の大輪を見上げた

花火か

それをこんな形で見るのは初めてなのに、
それは胸に迫る鮮やかな色彩で、
透明な深海色の空に弾ける光の花は、テンゾウの、あることなど思いもしなかった「郷愁」を刺激した。

花火は明るい残像を引きずりながら、ゆっくり空の闇に溶ける

家畜小屋のごとき部屋のベッドで、苦しみに輾転反側していたとき、もしかしたら、遠い花火を聞いたのかもしれなかった。

立ち止まったのは一瞬だが、歩き出したその肩に、思い切り人がぶつかる。
無様な接触に、一般人になりすぎた自分に舌打ちする。
無意識に身体を翻しながら、相手が思いっきり転ぶ可能性に、テンゾウが手を出して相手を捕らえようとした。
が、その手が空を切り、全身の冷や汗と共に、気づくと相手に右腕をとられていた。

「始まったね、花火」

その人はそう言うと、滑らかにテンゾウを解放する。
明らかに自分より段違いに上の同業者だと知れたが、それを確認する前に、その人はすっと人混みに消えた。
あっと思う間もない。
周囲を見回そうとしたが、こんな所で今以上の醜態をさらすわけもいかず、額に冷や汗を乗せたまま、テンゾウはそこに立ち尽くした。

背後で2発目の花火が上がる

人並みが、その音と色にどよめいて、その空気に圧されてテンゾウは夜空を仰ぐ。
唯一見たのは、いや、かろうじて見ることが出来たのは、花火の残照にきらめいた、自分とは違う髪の色だった・・・・



その後、二転三転する世情の空気の中、カカシとこなす暗部の仕事もあって、テンゾウはこの夜のことをすっかり忘れていた。
火影からカカシのかわりに七班のまとめ役を仰せつかって、その引き継ぎと打ち合わせと称した二人の酒の席。
暗部時代とは全く違うカカシの様子に、何度も何度も打ちのめされて、それがなじみ深い感情に近い衝撃である事を、テンゾウはどこかで気づいていた。
「お?花火の音だね」
カカシが空になったジョッキを傾けてそれを見ながら言った。ジョッキを握る指の優雅に長い様子から目をそらすことが出来ない。
「ああ・・・そうですね」
遠く聞こえる鈍い音にテンゾウが頷く。
「見に行かない?」
え?
「いや、好きなんだよね、花火。ははは・・・ガキみたい?」
「いえ・・・いや、そんな。じゃ、出ましょうか」
あっちの丘がいいんだ、という無邪気なセリフに、もう、心が諦めていた。
この人に惹かれて、惹かれて・・・・でもどうしようもない自分の未来。
前を行くカカシの髪が、背後から覆い被さる大きな大輪の花火に照らされて、輝くのを見る。

なんだ
もう、出会っていた

その気づきは、ただの気づきで、諦めた心を微塵も救済しない。
どこかで気づいていた感情は、今はあっという間に「恋」に名を変えて、テンゾウを深く打ちのめした。
でも今だけは、二人だった。
追いかけている間は、ずっと二人だ。
カカシが振り返る。
「お前も好きだろ?」
「・・・え?」
一瞬、カカシの事を好きだと言われたと思って、激しく動揺した。
「花火」
「あ、ああ・・・き、きれいですよね」
「お前は覚えてないと思うけど、人混みでボーッと立ってたの、俺、見たよ」
「・・・・・・」
「ずっと前な」
何かが転がったような感覚は、不意の爆発音にかき消される。
背後で数発の花火がいっぺんに上がって、振り返ったままだったカカシが、テンゾウの上を見て、小さく歓声を上げた。
「うわ・・・・凄いなあ」
その極彩色の火花で照らされたきれいな顔を、テンゾウは見る。
「早く行こうよ。終わっちまう」
カカシが駆けだして、こんな事が馬鹿げた事に感じない程度に、自分たちが馬鹿で幼くて、花火を見るために走って任務なんて一瞬すべて頭から吹っ飛んでいることに、それでもテンゾウは充分に気づいていた。
そして、自分には、この一瞬を積み重ねていくことしかできない。
花火みたいにはなっからぶっ飛んでる恋だとしても。

丘に着いて、テンゾウに見せたかったんだよと言ったカカシと、花火が好きだろと確認したカカシが重なって、それが単純な思いやりに近いものだとしても、今はそれで良かった。


2016/02/13