雨宿り 2




  「こりゃ、風呂に入る必要ないな」

テンゾウから手渡された薄いブルーのタオルで髪を拭きながら、なんの感情もこもっていないような口調でカカシが言う。
いつもなら笑って言うところだけど、伺うカカシの顔は、それからは遠い表情をしていた。

さっきまで上機嫌だったのに・・・・

テンゾウの感覚が正しければ、今のカカシは明らかに不機嫌だった。
じっとり下着まで濡らす土砂降りは、まあ、不機嫌の材料にはなるかもしれないけど、それにしても、いつも朗らかなカカシらしくない。
テンゾウは途端に、今の状況を気詰まりに感じて、この状況になってしまった顛末を悔やんだりした。


雨は止むことを知らず、テンゾウのアパートの安っぽい窓を激しく叩く。
街路樹の葉がちぎれて、適当に散らした色紙みたいに、窓のそこここに貼り付いていた。
  「なんか暗いね」
気づくとカカシも窓を見ていた。
  「ええ・・・・でも、雷の前はこんな感じでしょう」
同意して、また、カカシを見る。
暗い中にも、昼間の明るさはあって、さっき軒下で見たよりは、輪郭があやふやだったが、カカシの整った横顔は伺えた。
むしろ、暗さに印象が混じっている今のほうが、テンゾウには魅力的に見えた。
涼やかな雨の下にはない、陰影をなぞるような・・・・・
  『エロティックな・・・ってことか』
自分の発想にちょっと戸惑って、でも確かにそう感じると確認する。
カカシが唇を舐めて、その様に、喉が焼けるような焦燥を感じる。
と、ナルトの事が頭を掠めた。
  『この顔・・・なんだろうか・・・』
テンゾウの視線に気づいて、カカシがこちらを見る。
  「なあ、風呂、貸さない?」
何かが遠くで閃くような、不思議な感じがした。
  「え?・・あ、ああ、そうですね。準備します」
言い捨てて、風呂場に向かう。

なんだろう、この感じ。

湯を張る音が、白々しくバスルームに響き、それは戸外の重厚な音とはまったく違う物質のようだった。
全く意図していない何かが、転がり始めているような・・・・・

落ち着かない感じ・・・・・

湯船に溜まり始めた湯に手をつけて、テンゾウは深呼吸した。
テンゾウの部屋は、狭いバスルームにも窓があって、その小さな窓も、今は雨滴で騒がしい。
戸外の雨音を伴奏に、湯を張る音をしばらく聞いていた。
と。
ふっと、今、部屋にカカシと二人きりであることに気づく。
それは、今まで無かったのがおかしいほど、ありふれた状態であるようで、その実・・・・
  「初めてだな・・・」
部屋に二人きりの状態は初めてだった。
つきあいが長いのに、こんな接触は今まで無かったのである。
過去の雨のシーンを思い出しても、「雨」である状態から、なんの情報も引き出せない。つまり、「○月○日、天候は雨」という事実以外、なにも無いのだ。雨だから、雨宿りして、本降りになったから、僕の部屋に・・・などということは、やっぱり今日が初めてだった。
仕事上は先輩と後輩で、なんら関係性に変わりはないのに、これは何なのだろう?
どちらの明確な意志でもなく、こういう事になる確率。
  「変化?」
変化か。
以前と今とで違うのは・・・・・


部屋に戻る。
カカシは大人しく椅子に座っていた。
  「先輩・・・・」
  「ん?」
  「先輩、変わりましたよね」
  「なんだよ、突然・・・」
ぼんやりした印象が、急にこちらに興味を向ける。
  「いきなり暗部をやめて、先生だなんて」
テンゾウが話していることの意味を理解すると、カカシはこちらに向けたのと同じくらい急に、興味を失って再び窓の外を見た。





風呂の準備ができる。
騒がしい雨の音を聞いていたカカシを、浴室に促して、今度はテンゾウが、外の音に聞き入った。
風は相変わらず強く、収まるかもしれないと思っていた最前が、見当違いであることが知れる。
多分、夜半過ぎまで、この勢いは止まらないだろう。

  先輩はどうするんだろう・・・?

ふっと思う。
風呂のあとに、この荒天の中、返すわけにはいかない・・・だろう。
テンゾウは室内を見回す。
ベッドは一つしかないし、かといって、ガキのように一緒に寝るわけにもいかない。
自室に居てまで寝袋もイヤだし・・・・

  寝具をかき集めて、僕が床だな

なんだか面倒くさいことになった、と思って、また窓の外を見た。
まだ夕刻なのに嵐のせいで変に暗く、風が強く吹くたびに、街路樹が大きく上下左右にうねり、さっきまで、のんびりと軒下にいたことが、遠い昔のように感じられた。
外の喧騒をよそに、室内では、カカシの出す浴室の音が静かに響いている。
自分が、何かの狭間に陥ったような感じがして、ぼうっと椅子に寄りかかった。
ナルトから聞いた告白も、意志的に思い出さないと、本当の事だったのか危うくなるほどだ。

  そうだ・・・・ナルト・・・・

今も先輩のこと、考えているんだろうな。
そう考えながらも、さっきから自分にまとわりついている落ち着かない感じは消えない。
それが何なのかを、いまだつかめずに、テンゾウは頭を振る。

  先輩と二人・・・か

奥で音がして、カカシが浴室から出てきた。
  「気持ち良かった」
いいながら、テンゾウの側に来る。
  「お湯、入れ替えたよ。勝手なことしてごめん」
  「あ、いいのに・・・」
湯から上がったカカシは、さっぱりしたのか表情も明るくなっている。ちょっとのぼせたように色づいた感じが、カカシの肌の色を一段明るく見せていた。
テンゾウは、なぜか居心地が悪い気がして目をそらした。
  「僕のTシャツでいいならありますけど・・・」
  「あ、サンキュー」
気が抜けたように言って、カカシは頭を拭いている。
  「僕も入ってきます」
  「うん」





すっかり暖まった浴室は心地よく、任務を離れている事で、その気持ちは伸びやかだった。
その開放感のような感じは、任務がすべてだった今までには、感じたことはなかった。
これも、変化・・・・・か?
ふっと、浴室内を見回す。
  「綺麗にしてある」
軽く掃除したらしく、浴槽も排水溝も綺麗だった。
  「へえ・・・・」
なぜか、それが新鮮な発見のようで、うれしがっている自分がいる。
綺麗になった浴室は、カカシの、自分に対する好意のようで、
  「だから嬉しいのかな・・・」
と分析する。

カカシの好意・・・・

確かに感じる。
テンゾウはゆっくりお湯に沈む。
見上げると、相変わらず、小さな窓を叩く雨と、強い風。
それはこのアパートを包み、部屋の密度を上げる。
二人しかいない、この部屋の密度を。
一瞬、ナルトの事すら忘れていた自分がいた・・・・




2009.06.12.

拍手アップしていたもの。6.28. 加筆