雨の朝 3




風呂の中でナニスルなんて話を良く聞くが(どこで?)、とてもじゃないが、そんな感じにはならない。
恋人同士ならいざ知らず、俺たちは、世間で言うところの、純粋な裸の付き合いだ。
俺の馬鹿な発言のせいで、甘ったるくなるどころか(今の状態ではなりようがないが)、気まずくなってしまった。
先生は妙に明るく、俺に何も言わせない勢いで、喋る、喋る・・・・
一方俺は、中途半端な笑みを浮かべて、石鹸と格闘・・・・
結局、俺も先生もぐったりして風呂から上がった。
のぼせて、止まった鼻血も逆流しそうだ。バスタオル一枚で、俺は縁側にのびる。
雨は、まだにぎやかに降り続けていた。
いっそさっきに戻りたい。馬鹿な失言の前に。いやもっと前でもいい。・・・・
先生が遅れてきて、部屋から俺に声をかけた。
  「お前、着替えは?」
  「下着しかないてっば」
  「それでいいよ、これ貸す」
先生はなんと手にパジャマを持っていた。
  「先生・・・まだ昼前だってばよ」
  「え?お前、まだなんか活動する気?」
  「別に・・今日は任務明けで、何にも予定はないけど・・・」
  「じゃ、いいじゃん。俺、寝ちまうけど?」
先生は、もうオレンジ色のパジャマを着ていた。
  「派手なの着てるってば」
  「そう?普通の男物だよ。ぶっ倒れてるときに紅が、買ってきてくれてた」
  「チャクラ切れの時?」
  「そ」
先生は、俺にパジャマを渡すと、俺がそれを着ている間に、布団を敷いてくれた。
縁側の方を枕にして、二組の布団が並ぶ。
畳の部屋はわずかに暗く、縁側の明るみがそっと室内に侵食していた。
俺は、なんとなく、緊張したように落ち着かなかったが、先生は小さな欠伸をして、布団にもぐりこんだ。
しばらく、雨の庭と先生を見ていたが、俺も、ようやく布団に入る。
気持ちいい綿の肌触りに、俺は身体が沈み込むのを感じる。
  「こんな昼真っから寝るなんて、なんか贅沢だってばよ」
  「朝寝、朝風呂・・・あとは酒か?(笑)」
俺は、先生の方に身体を向ける。
先生は仰向けに静かに横になっている。チャクラが切れたときみたい。
  「寝るなよ、先生」
  「寝るために横になってるんだよ。変なヤツ」
  「だって退屈なんだってば」
  「さっきまで眠そうだったのに」
  「でも、こうして先生とゆっくりできることってないから」
先生がこっちを見た。
  「時間がもったいないんだ」
先生は、ちょっと俺を見ていたが、やがて布団をパフッと持ち上げると、
  「こっち来る?」
と言った。
どこまでもバカで愛しいよ、ほんとに。
アンタの中で、俺、どんだけガキなんだよ。
その顔を見るだけでみっともなく乱れ打つ心臓な俺なのに、同じ布団に入ったらどんなことになるか・・・・
  「こっち来る?」
というしぐさと声だけで、汗が引いたはずの全身から、妙な汗が噴出す。
でも、何気なく断るということが、今の俺には出来なかった。
  「ガキ扱いすんなってばよ」
と、サラッと言ってのけるいつもの反応が、今はチャクラコントロールより難しい。
きっと、噛みまくって、かえって不自然になってしまうだろう。
俺は、先生の顔を見た。
空白になった俺の耳に、雨の音が入り込む。
何だろう、この時間。
俺は、どうして、ここにいるんだろう・・・・
たぶん、俺の心の葛藤も知らず、優しそうな顔で待ってる。
俺は意を決して、先生のほうに転がった。
  「おっと」
先生が転がる俺を受け止める。もちろん、受け止められる前に、自分で止まったけど。
腕に先生の手が触れる・・・
  「お前、なんだか湿っぽい」
先生が眉をしかめた。
  「ちゃんとタオルで拭いたのか?」
ガキ扱いは、もうある種、快感だ。それに、これは風呂のせいじゃない。さっきの冷や汗だよ。
  「先生の布団で乾かすからいいってば」
ホントは『先生の体温』って言いたかったんだけど。
  「自分の布団に帰れ」
  「先生は乾燥してるからちょうどいいじゃん」
  「またジジイ扱いしやがって」
先生は、なぜか本気で怒ったような顔で、プイと反対側を向いてしまった。
その整った頬のラインを見ていると、いきなりギュッと脊髄ごと神経を掴まれたような痛みを感じた。
  『ダメだ・・』
切ない感覚が溢れる・・・
カカシ先生と、こんな時間、こんなふうに過ごしたことなど一度もなかったのに、懐かしい過去を見るような、この感覚はなんなんだろう。
止めなくていいのか・・・・
止まらなくていいのか・・・
俺は仰向いて縁側を見る。
雨の音を、目で聞いた。
庭の飛び石が濡れている。
今なら、戻れる。
楽しくて、気の置けない、出会った時から続く関係でいられる。
俺は先生の小さなナルトで・・・・
葛藤は胸中を暴れまわり、俺の身体を揺さぶる。
先生は、いつまでも写輪眼のカカシで・・・
雨が降っている。
遠くで小さな雷鳴が聞こえ始めた。
俺の手が、先生の肩を掴んだ。
見えている先生の頬のラインがちょっとだけ硬くなる。
グッとそのまま、俺のほうに身体を向けさせた。
  『な~に?』
先生の顔がそう言っている。
馬鹿な行動が発動しても、この人にはまだ届いてない。
一瞬そう思ったが、俺のほうが手遅れだった。
俺の表情は怖いくらいに真剣だったに違いない。
先生が、「どうした、ナルト?」と起き上がるのと、俺が「ごめん、先生」と言う言葉が重なった。
もう、俺のコントロールじゃない。
もう、俺には何も見えてない。
雨と、先生と、雷、それだけ。
俺は、先生の、まだ俺より少しだけ大きい身体を抱きしめた。
ああ・・先生の匂いと体温を感じる・・・
九尾が俺を凌駕したら、こうなるのだろうか、と、どこか変に冷静な脳の一角が考える。
でも、抱きしめる腕に力を入れて、今はダイレクトに流れ込む先生の情報に、俺は没した・・・




先生は動かない。
俺に抱きしめられるまま、じっとしている。
  「せんせ・・・」
俺の喉から漏れる声に、やっと、反応した。
  「大丈夫か、ナルト?」
俺は身体をわずかに離して先生を見た。
外の雨の集まりが、光を水あめのように屈折させている。その揺らぎが、暗い室内に淡い光を伸ばし、先生の顔にカッコいい影をつくっていた。
見とれる。
大人のいい男の顔なのに、今のそれは、先生の幼かった頃を容易に思い起こさせる優しい表情だった。先生の過去から続くすべてを腕の中に抱きしめていると感じた。
  「大丈夫じゃない」
俺のストレートな弱音に、先生は労わるような眼差しで、何か言おうとして起き上がろうとする。
俺は、また、思いっきり抱きしめる。
先生。
許してくれ。
この感情、もうどうしようもできねぇ。
風呂に入る前、俺が自覚した『好き』で、この激情は説明できそうもない。
好き?好きなのか?
顔が好き?
そんなんじゃねぇ。
愛してる?
そんなの習ってない。これがそうか?
  「どうしたの、ナルト?」
強くなり始めた雨の音に、先生の声すら遠い。
先生に直情をぶつけて、でも、雨に声を紛らわす姑息を、俺は自分に許した。
  「こうしていたいんだ」
雨に同化して喋る。
  「ナルト?」
ギュッと抱きしめる。抱きしめると確かに感じる先生の身体だけが今の俺を支えている。
既視感は消えない。
俺はなんとなく、この感覚は、過去にあるんじゃなくて、未来にあるんじゃないかと思い始めていた。
それは不吉な予感で、でも、それを軽くあしらって払拭できないほど、俺は自制を失していた。
  「わかんねぇ」
  「・・・・」
  「でも、こうしていたいんだ」
ぐっとさらに力を入れ、目だけ縁側にやる。
濡れる。
里が雨に濡れる。
そして、次の瞬間に起こったことは、俺を激しい後悔に陥れた。


カカシ先生の腕が伸びてきて、俺の背にゆっくりと回される・・・・・


一緒にいたいという俺の吐露が、師弟か仲間か、それとも色っぽい意味でなのか、状況を特定させない狡さを有していたことを、俺は否定しない。
そして、雷鳴とともに動いた先生の腕も、そういう曖昧さを十分に含んでいた。
でも、先生も、壊れそうなんだと、抱きしめた身体が語る。
先生も何か先生を拘束するものに抗っていると、まわされた腕の強さが語る。
  「ごめん」
俺の何かに巻き込んでしまった、と、俺はこうなってしまってから悟った。
ああ、この既視感は、抱きしめたから、発生した未来なんだ・・・・
  「ごめん、先生・・・」
俺の搾り出すような声に、先生が身じろぎした。
  「ナルト」
呼びかけられ、俺はびっくりして先生の顔を見る。
今まで聞いたことのない声だった。
  「なんで謝る?」
先生の声は、優しくて、そして、もうすでに甘い媚を含んでいた。
  「俺だって、お前のために生きたいんだ」
雷鳴が、近くで聞こえる。
  「謝るな。これは俺の意思だから」
先生の腕に力がこもる。
でも俺は泣けてきた。
やっぱりこの綺麗で優しい人を、この人の人生を、俺が狂わせたと、その罪悪感はきっと正しいに違いないから。




2008.02.07.