あと1センチだけ 2




人間って単純だ。
いくら落ち込んでいても、風呂に身を沈めて一息つくと、心がちょっと軽くなる。
夏とはいえ、日が落ちるといくらか涼しくなり、細く開けた窓から入る夜風に、浴室の湯気はもうもうと上がる。
いつもの先生じゃない感じをはっきりと認識していながら、それを今は遠ざけようとする自分。
そんな葛藤も、風呂に入ってしまえば、くだらない理屈のような気がして、俺は嘆息する。
  「一緒に入るって言えば良かった・・・」
そうは言っても、湯の中で身を伸ばし、これからやることを考えれば、風呂なんて本当は、どうでも良かった。

2年も続いている・・・

湯から上がり、壁にぶら下がっている鏡を見、その中の自分と向きあう。
2年前とは、随分違う。
背も伸びたし、筋肉もついた。
  「もう・・・」
と言いかけて、その言葉に自分で驚いた。
もう・・・一体何だというのか?
唖然として自分を見返す鏡の向こうの俺は、自分じゃないような気がして、ちょっと怖い・・・・





奥の部屋には、すでに布団が並べて敷いてあった。
こちらは、縁側の引き戸は閉まっている。
先生は、最前見たそのままの服装で、壁際の布団に腹ばいになっていた。
枕元を、ぼんやり照らす安っぽいスタンドで、仕事のものらしい書類を読んでいる。
部屋に入ってきた俺を、書類から目を外すことなく、頷いて促す。
俺は、手前の布団に横になった。
  「それ、とらねえの?」
俺は、先生の覆面を指す。
今まで、先生がそれを下ろしたことはないから、俺の問いかけは、初めてだった。
  「とってどうするのよ(笑)」
・・・かわされた。
が、それだけだった。
いつもなら、たぶん、もっと突っ込まれていた。
  『俺、女じゃないんだからさ』
そんなことでも言いそうだ・・・・ったのに。
先生は、それ以上何も言わず、手にしていた書類を枕元に置いた。
乾いた紙の音が、それはとても微かな音だったのに、流れる時間を意識させる鋭さで、俺の耳に響く。
心臓が、その音を次第に大きくし、俺はもう、どうしていいかわからない。

絵面だけ見れば、いつもと変わらないのに。

先生といっしょに、先生の家に来て。
二人とも順番に風呂に入って。
気分なんか、盛り上んなくても、俺は素直に先生に抱きつけたし、
先生も、俺になんの戸惑いも生じさせないくらい、自然に・・・

抱かせてくれた。

でも、今日は、
今の俺は、
真空に放り込まれたように、身動きできない。
何もできない・・・・

と、先生は立ち上がると、部屋の明りを消した。
明りは枕元のスタンドだけになって、部屋は外から闇に浸食されたように、抱きかかえることができるような空間になる。
一呼吸置いて、先生はまた布団の上に胡座をかいて座る。
  「あのさあ、ナルト」
と言いながら。
  「なに・・・?」
俺の声は、思いっきり掠れていて、その理由を先生に悟られやしないかと、ちょっと弱気になる。
  「俺も、ホントはさ・・・」
そう言う先生を見て、電気を消した後の一呼吸の間は、先生の意志だったことに気づく。
  「ちょっと参っちまいそうになるのね」
覆面の下、どんな表情で言ってるんだろ?
適度に暗くて、身動きが取れない俺には、その表情まではわからない。
  「どういう・・・意味?」
  「もう、なんかもたない・・・」
  「・・・え?」
  「・・・というか・・・」
多分、先生にとっては最大級に話しにくいことなんだろう。
あの何事にも動じない先生が、こんなに詰まりながら話している光景は、不思議な感じがした。
  「もたないって・・・・なんだよ・・」
続けようとして、結局黙り込む先生に、俺の逡巡が、声になる。
そりゃ、俺だって、そのことを考えないわけじゃない。
自分の中に、別なチャクラを感じて以来、先生は、時々俺の相手をしてくれた。
かなり後になって、それは、里も公認の行為だと火影に匂わされたが、そんなイヤらしいこと言われなくても、先生の意志じゃないことはとっくにわかっていた。
つまり、
俺の中の怪物を理解している人間じゃないと、俺はセックスもできないんだ。

セックスはただ、俺の情欲が、怪物に影響しないように、溜まった澱を吐き出すだけのシステム。
そのシステムは変わらず、
俺の中も変わらず、
先生はただただ、適任だったから、
2年間も、俺と寝続けた・・・・・
それなのに、

   変な今日の先生は・・・・
   多分、そんな約束を反故にしてしまうくらい何か抱えている・・・
   ・・・・・

不意に、外の音が戻る。
カエルの声と、水のように流れ込む夜の風・・・
俺の心臓はドクンと大きく一回打ち、その一瞬で全身に汗をかく。

ダメだ

あぶねえ・・・・
俺は湿った指先を弄ぶ・・・

  「違うよナルト、俺の言ってるのは、」
  「先生!!」
  「・・・・・」
  「本当はどうでもよくなってる」
俺の、明らかに変わった声の調子に、先生が目を見開くが、俺は先生に言わせない。
  「だって、久しぶりだもんね」
  「・・・・」
  「先生、チラリズムってあるよなあ?」
  「・・・・は?」
俺はすべてを力ずくで押し出すように、たたみかける口調を止めなかった。
  「先生さあ、俺とするとき、いつも下しか脱がないだろ?」
  「・・・・」
  「それって逆にそそるってばよ。知ってた?(笑)」
  「・・・・お前なあ・・・」
いつも下半身しか脱がない先生は、俺の劣情を激しく刺激していた・・・それは事実だ。
先生がちょっと笑って、俺は安心する。
でも、その笑みの奥に、先生の抗うなにかを見て、俺は居たたまれなくなっちまう。

  上手かったよ、先生の誘導は。

俺も笑いながら、先生の手首を掴む。
若干の先生の戸惑いも、俺は強引になかったことにして、そのままこちらに引き寄せる。

  俺、ちゃんとわかってるから。気持ちがココに・・・・・

俺は先生を抱きしめる。

  ココにないことを、だよ
  だから、大丈夫

俺の必死を、きっと、先生もわかってた。
だから、大人しく、俺に抱きしめられたまま。
  「真っ暗にするからさ」
  「・・・・?」
  「今日は全部、脱いでよ?」
調子に乗った俺は、そんなことまで言った。
先生は、覆面すら下ろさないから、俺は先生の顔をいまだに知らないし、もちろん、キスもしたことがない。
それが不自然であるという認識はないし、今もそれ以外あり得ないと思っている。
そして、結局は笑って流されるというオチも見えていたから、俺はそう言っただけだ。
それなのに。
  「ずるいな、お前」
先生の声は震えていて、ああ、それは、もう戻れない何かを含んでいる・・・
  「自分だけベラベラしゃべって、それで終わりにするのか?」
  「・・・・なんのことだよ?」
  「だから言ってるだろ」
  「・・・先生・・・」
  「もう、もたないって」
グリッと胸のところが抉れる。
リアルだなあ、この傷心。
俺は一瞬息をついで、先生越しに外の空気を聞く。


静かな住宅地の、静かな夜が、今日も訪れる。



2010.07.14./07.18.