あの人の献身




蝉が鳴いている。

ナイフみたいな鋭さの光線が余さず地面を焼き、ミリ単位の隙間にすら正確に日は射して、僕は、そんな自然の愚直さに、感心する。
すっかり水分を失った膝丈の雑草は、ゆっくり髪の毛を動かす程度の風に、カサカサと儚い音を立てた。
歩いて数分で触れることができるブナの巨木すら、ずっと向こうの揺れる遠景に溶け込んでいて、僕は長く息を吐く。

もうここに立って随分経つ。
僕は額の汗を拭い、可憐な野花よりは丈夫にできているらしい自分の腕を見た。
腕の外側や手の甲にも汗が滲み、その汗が、光を微細にチカチカと反射して、僕の内面とは裏腹に、生気に満ちているように見える。
  「任務だったら、こんなことしやしない」
汗で霞む視界をぼんやりブナに向けて、僕独りごちた。
でも一度開いた声門は、言葉を発することができることを思い出したかのように、スムーズに独り言を吐き出した。
  「そうだよ。任務なら、こんな・・・・」
ちょっと風が吹く。
大気が質量を持って動き、その滑らかさに、肌の汗が乾き取られていくのを感じた。
  「こんな、非効率的な事、」
道の向こうのブナの梢が、時間差で、ゆっくり風に翻弄される・・・
  「・・・しやしない」
僕の言葉も、ちょっと遅れて風に乗り、舞い散った数枚のブナの葉とともに、地熱にゆれる景色の向こうに流れていった。





馬鹿げた誕生日も、本当は、誰かのためだったりする。
何ひとつ、自分の事はない。
騒いでクリームだらけになった部屋を掃除しながら、僕は呆れて、結果、長い間無言で雑巾を動かし続けた。
秋は暦の上だけで、夜になっても空気は暑い。
でもふとした瞬間に、
  「虫の声・・・か」
歪んだ窓枠を鳴らし、開けはなった窓の闇の向こうから、ほんとうは少しも佇んでなんかいない時間が聞こえてきた。
濡れた雑巾を窓から突きだして、太陽の置き土産のような熱い空気も、その向こうには、次の風を孕んでいることを知る。
そして、そんな滑稽な僕に、彼は、問いより先に、優しい笑い声を聞かせてくれる。
  「先輩?」
僕が窓から身を乗り出して目を向けると、教え子を送って帰って来た先輩が、
  「ただいま」
と、笑い声のまま言った。
その日なたのような暖かい声は、不意に、陽炎に燃えるブナの巨木を思い起こさせた。
  「そういえば・・」
  「ん?」
  「先輩のよく座っていたベンチ・・・」
  「ああ」
言いながら、窓の外に立つ。
足が長く、スタイルがいい彼の姿は、整いすぎて、しばしば幼さを感じさせる。
手足の成長に、身体がついていかない、あの無垢な時期の印象が、そう思わせるのだろうか。
  「ブナの木の下にありましたよね」
  「え?・・・ああ、あの木、ブナなの?」
今度は僕が笑んで頷く。
  「そうか、ブナか」
僕が先輩の、何かを思い出す顔に見とれていると、
  「すごく優しい葉音がしてたよ」
と、僕の胸を抉るようなことをポツリと付け足した。





静かだ。

いつかのクリスマスの時も、僕は同じ事を考えていた、と不意に思い出す。
あの日、ずいぶん静かで不穏だと、投げやりな気持ちを含んだ目差しで、クリスマスカラーの電飾を見ていた。
そう。
嵐の前の静けさというものは、本当にあるんだ。
普通に生きていたら、本で読むか、映画を見るしか知る方法がないような悲惨な打撃があって、それでも、クリスマスは来た。
でも、僕の胸騒ぎは収まらない。
  「ああ・・・」
雪明かりでほんのり明るい窓枠を背に、僕は一人頷く。
  「まだ、本当の、」
つきだした腕の、熱い空気を破って触れた秋のような、
  「打撃じゃないんだ」
次の風が来る。
手を開いて、見つめる。
どんなことがあっても、心がつぶれるようなことがあっても、正気を失った方がマシなことがあっても、
  「生きてるんだろうな」

死なない限り。

そう思った途端、涙が出てきた。
そう思った途端、耐えられなかった。

ああ、あの人も。

ともすれば、大蛇丸の気持ちの方が、楽にしみこむ僕の生とは、ずっと遠い所にいて、でも、僕と同じ殺伐の中にいる。
泣いたことなどなかった僕が、彼の様子を思い浮かべるだけで、視界を滲ませるなんて。
僕のこの気持ちを知らない7班の連中は、僕を先輩に絡めてからかう。
サクラに至っては「素敵だわ」とすら言った。
でも、残念ながら、そうじゃないんだ。

微かに聞こえるクリスマスのメロディーが、僕を「普通」という残酷の淵にたたき落とす。
それが狂気でも、それが間違いであっても、それが唾棄すべきことであっても、楽なことは、ある。
独りなら耐えられることが、彼の存在で、もう僕は耐えられない。
喉の奥で呻いた僕の声は、通路をソワソワと行き交うイベントの騒ぎにかき消された・・・・





白い息が顔の周りにモクモクと漂う。
それは温泉の湯気のように強烈に白く、外気の温度の低さを示していた。
空を見上げる。
数ヶ月前には、色濃い青が暑苦しくのしかかってくるようだったが、今は淡い水色の空気が、どこまでも高くそこにある。
ここ最近の冷え込みのせいで、道も硬くこおっているようだ。
ゆっくりと歩く。
日差しは透明な空気を裂いて直接肩に乗る。
でもやはり、秋の強いそれよりはじんわりと暖かだった。

  「隊長!」
道の向こうからサクラが来て、その華やいだ声に僕はハッとする。
冷たい空気の向こうに、透けるような淡い桜色の花を見た気がした。
淡い色に萌えて、新芽を広げるブナ。
脳裏に浮かんだ萌葱色に、僕はまた空を見上げた。
  「寒いですね-」
息を弾ませて、鼻先を赤くして、この無垢は、小さく暖かかった。
  「そうだな」
サクラの手が冷たそうで、思わずその手を取り、自分の手のひらで包む。
  「先生みたい!!」
驚きも拒否もせず、そう言って笑った彼女に、僕は問い返す。
  「先生?カカシさんのこと?」
  「そう。でも先生の時はいっつも驚いちゃうんです」
へえ・・・・
  「いつも不意に現われて、急だから」
  「そうなんだ」
  「隊長、先生の事、好きなんですよね?」
なんと言えばいい?
どこまでも高い空。
凍った道。


暑いあの日も、道はまっすぐ続いていて。
蝉が鳴いていた。
彼の存在は、僕になにかを思い出させる。
僕を何かにつなぎ止め、
僕を遠い所から諭し、
僕を自暴自棄から遠ざけて、
僕から涙なんて軟弱な、でも強いものを引っ張り出して、
とにかく走りすぎようとする僕に、
もっとゆっくり行けと、ブレーキをかける・・・・


  「先輩の事は好きだよ」
いいながら僕は、暖めたサクラの手の甲にキスをした。
  「隊長!」
驚くサクラに、
  「でもこういう好きじゃないよ(笑)」
と言って、サクラが怒り出すのを待つ。
両手を振り上げてかかってくるかと思い身構えた僕に、彼女は、
  「私が怒ると思ってるんですか?」
と言って、次に来る風のように穏やかに笑う。
大人びたその仕草の、その向こうにブナの巨木が見えて、

夏の炎天に、僕が何を待っていたのか、
ちょっとだけ、
わかったような気がした・・・




2010.01.01.

あけましておめでとうございます。
暗い調子の話ですが、根本は「陽」です。
旧年中は、たくさんの励ましや、同意(笑)をいただき、ありがとうございました。
今年も、細く長く、続けていきたいと思います。
趣味が同じ方は、時々遊びにいらっしゃいませ。