鳴門の案山子総受文章サイト
激しく横隔膜を動かしていたはずなのに、
大体、そうじゃないと、こんな全力疾走できやしないのに。
安全圏に入って、辛くも逃げ延びた俺の上の穏やかな空を見上げた途端、ブハッとばかりに身体中の二酸化炭素が一気に吹き出て、俺は、乾いて引きつる喉をさらに痛めた。
大仰に、なにか気体が吹き出ると、今まで息をしていなかったかのような錯覚に陥る。
隣を見ると、先生も、こちらは地面に片膝ついて、ぜえぜえしていた。
その背景には、初夏の爽やかな色彩が広がり、まだ清々しさを残して心地よい風は、そこにコラージュしたかのような異質な俺たちを優しく撫でる。
「は・・あははは・・・はは・・・」
俺は腹を抱えて笑ったつもりが、病人の咳みたいな息が漏れて、先生がこちらを見た。
「はあ・・な・・に・・・はあ、はあ・・・おかしい?」
息をするついでに喋る先生は、純粋に「?」な状態だった。
「先生が・・・はは・・・はは・・・」
俺の笑いはまだ収まらない。
「は・・・はあ・・俺が?・・・・」
「ははははは・・・・必死すぎだろ・・・」
俺の腑抜けた言い方に、先生も笑い出して、
「はは・・・ばか・・・くるし・・・って・・・・ゴホッ」
と、呻くように呼吸を乱したまま笑いながら、ちょっと咳き込むおまけ付き。
疲労と安堵感にまみれた俺は「そのマスクのせいでもある」とかいいながら、本当に、自然に手を伸ばし、先生の口を覆うそれを引き下ろしてしまった。
「あ」
とか言って先生は、俺じゃなくて、この状況を一瞬睨んだような表情になる。
そのときの先生の口元が、不意を突かれながらも反撃しようとする得体の知れない「愛らしさ」に満ちていて。
気づいたら、俺は先生にキスしていた。
2秒くらいの間があって、でもそれは、俺が充分その感触を記憶に刻めるくらいの時間で、びっくりしただろう先生は、それでも俺を突き飛ばすような反射的なことはせず、柔らかく両手で俺の身体を押し返しただけだった。
ふざければいいのか、笑い飛ばせばいいのか、何も無かったようにすればいいのか、自分の初めの衝動的な行動に明確な理由を見つけられなかった俺は、この後の態度をも、どうしていいかわからず、押されるまま、曖昧に先生のカッコイイ顔を見つめた。
「冗談がすぎるよ、お前は」
先生はそう言って、さっきの空気のまま笑んだ。
2秒静止した世界がまた時間を取り戻して、俺は、先生に感謝する。
「帰るぞ」
広がる明るい緑の景色の向こうを見て、先生は先に立って歩き出す。
その背を追って、時間が戻った感謝の気持ちは、歩く歩数ごとに味気なく、俺は、その正体を掴みかねた。
いろんな仮定と、いろんな推論が、頭じゃなく胸の中を駆け巡るようで、俺は無言になり、ただ歩く。
やがて、日が傾き、里の入り口が見える。
結局、それが「大人のずるさ」だと気づくのに、そんなに時間はかからなかった。