冬空の積乱雲




冬まっただ中の鈍色の空は、今にも雪を落としそうに垂れ込めている。
乾燥した地面の上を、息をきらしてアカデミーに向かう俺は、凍った水溜まりを見つけて、そこを思いっきり踏みつけた。
思ったほど、氷の割れる音は響かず、ちょっとガッカリしながら、先を急ぐ。

政治の話はわからないけど、最近、静かなのはわかる。
近隣の国同士、戦力と策略が拮抗して、俺らの吸う空気は淀んでいるが、もっと上じゃ、真空状態だ。
卒業したばかりの俺たちは、アカデミーの生徒相手に、勉強を見てやったり、訓練に付き合ったりしながら、つまりは、この子らの護衛だ。
なにかあったら頼むな、とイルカ先生には言われてるけど、俺は別に自分を過大評価しない。せいぜい足手まといにならないようにしなきゃと、そんな覚悟の方がカッコイイと思ってる。

カカシ先生は、最近、滅多にここにはいない。
たまに会っても、相変わらずのヌボーーっとした空気で、血の臭いもしなければ、殺伐とした雰囲気もないから、その任務の内容は、もっと違う方向なんだろうと思うけど。
ただ、いつもすぐいなくなる。
声をかけて、元気の確認をして、先生が俺の頭に触れて、
  「じゃあな」
で終わり。
忙しいことは、俺にも充分理解できた。
でも情勢は何も動かず、里を覆う真空はどんどん大きくなって、
必然的にそこに流れ込むハズの空気は、寸止めされて、どんどん巨大になっていく。





アカデミーの入り口に入って振り返ると、最初の雪が降ってきたところだった。
ゆらゆらと、風のない空気の中をゆっくり落ちていく。
一瞬、見とれた俺は、
  「うずまき君」
と、教官の一人に声をかけられた。
  「はい?」
  「今、ちょっと上で動きがあってね。担当の先生たちが出払ったんだ」
  「はい」
  「生徒たちは、自宅待機。僕も出るから、今日はもう帰っていいよ」
  「・・・・はい」
その人は、俺が了解したことを確認すると、奥の方に走っていった。
その後ろ姿に、なにか、ネガティブな気持ちを感じる。
俺は、そのまま、右手に伸びる廊下を歩いた。

乾燥した空気は人気のないせいか冷たくて、耳がキーンとなるような静けさに満ちている。
子供達がいればざわめく空気も、今は板張りの廊下に積もっている。
俺の歩くかすかな音は、無音の空間に大きく響いて、上空の真空を思えば、さっき感じたネガティブが噴き出しそうになる。

つまり俺は無力で。
結局俺は、足手まといで。
それは、単純に年齢とか、経験なんだろうけど・・・・・

  「ナルト!」
呼ばれてあわてて顔を上げる。
通路の奥の会議室の前に、カカシ先生が突っ立っていた。
  「先生!!どうしたってば?!」
  「俺、今朝でやっと任務終了だよ」
ずっと同じ任務だったんだろうか?
そう考えながら、先生に近付く。
先生は、それきり何も言わず、近付く俺をずっと見つめたまま。
その様を訝しみながらも、俺は先生の目の前に立った。

先生が俺を見下ろす。
その空気はいつもの先生で、やっぱり血のにおいも、殺伐とした印象も、上空に広がる真空の巨大さも、そんな汚い思惑にひっかきまわされる大人の事情も、そんなもの、何一つ俺に感じさせない。
  「ナルト、元気か?」
その台詞は、俺を最大限に甘やかす。
ひとりであることを思い出させ、ひとりで時間を過ごしてきたことを心に刻みつけ、それら事実を事実として受け入れて生きている俺を、甘やかす。
  「元気だってばよ。先生は?」
  「お前に会えるとは思ってなかった」
その言葉の意味を俺が考えようとすると、先生はすぐに、
  「いや、だから、元気になったよ」
と言い繋いだ。
若い俺には、いや、若すぎる俺には、その正体はわからない。
でも、きっと今、俺は大事な瞬間を先生と共有しているんだ、という直観はあった。
俺はその直観に、なぜか打ちのめされて、先生を見上げる。
あと数年経てば、俺は理解する。
今、先生が感じてるその感情を。
今、俺を見ている先生が、考えているその心の中。
今、先生に見えている景色・・・・・

会議室の窓から、急に明るい光がさして、
  「晴れてきたね」
と、先生は窓を見る。
俺は、光が当たる先生から目が離せなかった。
  「ねえ、ナルト」
先生が顔を俺に向ける。
その長い睫毛が、光を乗せて光るのを見る。
時間が相対的に伸び縮みすることを、俺はとっくに知っていた。
  「冬だけど、入道雲が見えるよ」
そんなガキみたいなことを言って、窓の外を指す。
曇天を切り裂いた陽の光は、いくつもの輝線を発して、その中に青い空をのぞかせていた。
その中に見える白い雲は、先生が言ったように、本当に夏の雲に見えた。
二人揃って同じ方向を見る構図は、その空が未来に続いているようで、俺は胸が締め付けられる。
先生も、
  「今年の夏を先取りだな(笑)」
と言って笑った。

俺たちがアカデミーを出るころには、もう、空はもとの曇天に戻っていた。
身を切る空気の中に飛び出す。
先生は、もう、次の任務だ。
  「さ、元気も出たことだし、行くか」
と言って、襟元を正したので、
  「え?任務終わったって・・・・」
と俺が驚くと、すごく優しい目で俺を見た。
  「うん。次の仕事だ。驚くなよ、これでも予定を10分遅刻中(笑)」
  「えええ??ば、ばっか、先生、は、早く行けよっ!!!!」
  「心配するな。本気出せば、現地にジャストだ。そんなことより、」
  「?」
  「ナルトと一緒にいる時間のほうが、ずっと大事だからな」
先生の手が俺の頭に置かれて、わけのわからない感情に胸をえぐられて、絶句しているうちに、先生はいなくなってしまった。
俺の髪が先生の指に絡まった感触を残して、灰色の冷たい空気に震える。
こんな、こんな、痛い気持ちの日は、初めてだった・・・・・





やがて、真空に空気が流れ込み始め、いくつもの根回しで緊張も溶けていく。
里にも、いつもの空気が戻ってきて、先生も相変わらずヌボーーっとしている。
でも、あの日に先生と見た未来の風景は、俺の前にずっとあって、それはこれから先俺をずっと先導していくんだろう。
人生の大事なことを、いろんな人との交差で作り上げていることをはっきりイメージしたのは、この時だったかもしれない。
俺が先生を大事に思っていて、先生にとっても俺は元気の元で、そんな当たり前を認識することが、心臓を直撃するほど痛くって切ないってことも。

俺の人生にこの人の時間が重なっていて
それは、偶然かもしれないし、運命じゃなくてただの事実にすぎなくても、それこそ最大のネガティブのせいだとしても、
俺は、本当に、最高に、うれしい。

冬の空に、二人で夏を見た。
それだけで、俺は、たぶん一生頑張れるから。


2011.01.30.