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偵察から戻った粗末な監視小屋に、サクラがいた。

念入りに消したオレの気配に気付かず、不意にあいた立て付けの悪い扉に、ビクッと肩を震わせて、開かれた大きな瞳が、一瞬、戸外の雨に光る。
オレに何を言われると思ったのか、首をすくめたサクラは、頭を巡らせオレの挙動を見守る。
長雨のせいで、小屋のあちこちが濡れている。
比較的マシな床面を選んで、オレは座った。

サクラが追ってくることまでは、さすがにオレも予想していなかったが、こうしてサクラがいる空間には、全く、違和感がなかった。
それは、幼馴染みの感覚とも、7班としての同胞感とも違う・・・・

なんだろう・・・・

サクラが立ち上がってオレに近づいてくる。
「びっくりした?」
そう言って、許しを請う猫のようにオレを見る。伏せた耳が見えたような気がした。
「いや」
それは正直な感想だ。
実際、オレは驚いていなかったし、危険なサクラの行動に腹が立ってもいなかった。
いつものオレなら驚き呆れ、サクラを思えばこそ、追い返しただろう。

オレは変わったんだろうか?

実はそれは、ナルトと拳を交えたあと、延々とオレの中を巡る問いだった。
自分の内側を見るオレの額に、サクラの手が伸びる。
サクラがしようとしていることは察しがついた。
もう、昨日のことだが、得体の知れない数人を始末したときに、額を傷つけたからだ。
応急処置はしたつもりだが、処置が甘かったらしく、雨に打たれて、再び出血し始めたのを感じていた。
「血のにおいは厳禁でしょ?」
「懐かしいな」
「ふふふ・・・忍術基本兵法その1よ。痕跡を絶つ」
「そうだった」
オレは笑って返す。
においも何も、気配そのものを完全に消せる今、アカデミーレベルの兵法は逆に新鮮だった。
オレの笑いにつられて、サクラも笑む。
戸外の雨の音が急に耳に迫り、今、この瞬間、二人きりであることを強く意識した。

不穏な風に乗って、雲が流れて、雨脚も乱れる。
雲越しの太陽の明るさが、その流れに印象的な濃淡を作って、粗末な小屋の隙間から、時折漏れた。笑ったサクラの艶やかな睫毛が、その雨滴越しの太陽に輝き、初めて見るサクラの表情に、リアルに時間が止まる。

こんな顔だったか?
こんな風に笑ったか?

ずっと見てきたし、ずっと前から知っていたのに、オレの網膜は何度も打ちのめされる。
ああ、カカシ。
お前の方がやっぱりずっと大人だったな。

サクラの指先がオレに触れ、下忍や中忍とは桁違いの癒やしのチャクラが流れ込む。
傷つくままに闘って、それでも圧勝してきたオレですら、つまり、医療忍術にはそれほど長けていないオレですら、サクラのチャクラが特別なものであることが、今はわかる。

こんなに、一途だったんだ。
こんなに、一生懸命だったんだ。

闘いや怨嗟に満ちた、オレの今までの生き方とは全く違うベクトルに、オレの脳髄が揺さぶられる。
ナルト。
お前も今、オレと同じ景色を見ているのだろうか。

サクラと目が合う。
はにかんで、でも治療を続ける様は、オレの知らない誰かのようだ。
オレはその場を取り繕う様に、言葉を発する。
「まあ、来てしまったのなら仕方ない」
サクラの指がちょっと動いて、反射的に痛みを予想したオレは、ちょっと顔をしかめてしまったが、すでに全く痛みはなかった。驚嘆するレベルのスキルだ。痛くないでしょ?とでも言うように、サクラの瞳がオレを見る。
綺麗なガラス玉のような色が、暗い室内で新鮮に輝く。
「今後、お前に助けられる事もあるだろうしな」
そのオレの言葉に、驚いたサクラが目を見開く。
でも本当は、オレの方が驚いていた。

オレの過去は、オレだけのもので、オレの背負う運命も、オレだけのもの。
オレの復讐も、オレの目指す世界も、オレの脳から見た世界も何もかも!!!

全部、オレだけの・・・・
だから、オレだけが闘えばいい。

それなのに、本当にお前たちは。

カカシがオレたちが離れないように繋ぎ、
ナルトが渾身の力でオレを殴りつける。
オレと同じ男どもはそれでいい、でも!

サクラ。

お前までもが、一緒に歩こうとしてくれる。
オレは生まれて初めて、真の恐れを感じていた。
オレより、弱いと思っていた。
サクラ。
お前の手なんて、簡単に振り払えると思っていたんだ。
そう。
お前のために、だ・・・・
・・・・・・そう、オレ自身が、そうやってオレ自身を裏切って。

「クソっ」

自分で自分が制御できない。
どんな難しいチャクラコントロールも、今のオレのこの激情には及ばない。
オレはサクラを抱きしめ、口づける。
こんなに、サクラ、お前の存在に叩きのめされて、こんなに負けて負けて、負けが過ぎて、でも、ちっとも敗北感がない。

オレは変わったよ、サクラ。
だから、もう少し、先に行ってもいい?
抱きしめたまま、もう少し、お前を感じていていい?

今まで、世間の月並みを笑い飛ばし時に軽蔑してきたけど、オレも今は、その月並みに、心から同意だ。

サクラ。
お前は、こんなに・・・・
こんなに、可愛かったんだな・・・・


【続く】