本当は知っていた


虫の声がする。
透明な闇が、沈殿するように降り積もった寝室で、
「静かね」
サクラがそう言って、オレの肩に頬を寄せた。
カーテン越しにわかるくらい、月の光が明るい。
滅多に帰らない我が家だが、こうしていると、やっぱりここがオレ自身の日常なんだと強く感じる。
長く身を置く辺境の森の方が、非日常か。
これを、焼きが回ったというのだろうか。
「サラダが寝れば、そりゃあ、どこだってそこは静かだろう」
「ふふふ・・・」
肩に、サクラの笑う振動が心地いい。

不意に虫の声が止む。
月の光がゆっくり流れる雲に濃淡の影をつけ、一つ、また一つと、虫の声が復活する。
やがてサクラの寝息が聞こえ、オレは、サクラを起こさないように、その身体を抱きしめる。
片腕で、その質量を味わうように、しっかりと。
サクラの体温が心地よく、オレはようやく目を閉じた。

何度か、泣かれたことがある。
それは、家庭を犠牲にせざるを得ない男が、かわいい女に詰問される類いのものだ。
・・・・と、サクラ自身は思っているだろう。
自分に理がないとわかっていながら、男を責めずにいられない、それは感情の波だ。
・・・・と、サクラ自身、自分を諫めただろう。
様々なリアルに自ら雁字搦めになれば、人は、あり得ない陳腐な理由で、爆発するものだ。
・・・・と、サクラは自分を慰めただろう。
サクラはいつも言う。
「私が一方的に好きだっただけ」
と。私が追いかけただけ、と。
それが、実は違うことを、たぶん、お前は理解しないだろう。

木ノ葉は優秀な忍びの里だ。
オレが里を抜けて、蛇や鷹として各地を回っている間も、木ノ葉の噂はよく耳にした。
ナルトやカカシの事はいざ知らず、サクラ、お前の事もだ。
各地に放った密偵や、式、それに本当に悪気のない噂話で、オレは、お前が思っている以上に、お前たちのことを把握していたんだ。
香燐に何度も言われたよ。
「また、木ノ葉?今は、その情報、いらないよね」
「あいつらを甘く見るな」
そう言って、オレは自分をもごまかしていた。
オレは、心をなくしたように生き、振る舞い、立ちはだかるモノを容赦なく切り捨てた。
意味のない殺傷はしない。
が、意図を持ってオレの行く手を阻むモノには、容赦なかった。
ナルトはそんなオレを、命を賭して救ってくれた。
そんな、オレたちの殴り合いを見て、お前は、自分の無力さを感じただろう。

サクラが身じろぐ。
オレはその額に、そっと口づけた。
「ありがとう」
オレは喉の奥で言う。
お前の思い込みは、全部、間違っているんだよ。
情報収集の体をとって、お前たちの事を知ろうとしていたオレ自身に、オレですら気付かなかった。友を否定し、里を忌避し、恩師の言葉を足蹴にし、それでもオレの心は、木ノ葉を求めていたんだ。
笑えるよな。
カカシや、ナルト、お前が、オレの前に立ちふさがるたびに、オレの心は、たぶん、本当は、泣いていたんだと思う。
嬉しくて、だ。
オレがどんなになっても、お前たちはオレを見捨てない。
そう、どこかで知っていたオレは、本当に手のつけられないガキだった。

サクラの手が、オレの胸にすがる。
オレを愛し、オレを頼りにし、でもいざとなれば、捨て身で闘うお前。
オレは、お前の大きさに、気付いていなかった愚か者だっただけだ。
心の奥底で、意識ですら感知できないずっとその奥で、オレはずっとお前に甘えてきた。
今なら、それがわかるんだ。

「あなた?」
「ん?・・・起こしてしまったか?」
オレがそう言うと、サクラはきょとんとした顔をして、ついで、さっと頬を染めた。
「なにか・・・したの?」
「え?」
「寝てる私に、何かしたの?」
もう子供までいるのに、いつも、いつまでも、はにかむサクラは、初々しい。
「キスした」
面白がってそう言うと、もう、とオレの胸をたたく。
ああ、オレの心が喜んでいる。
こんなことが、すごく、嬉しいよ、サクラ。
同時に、こんな時、オレは少年時代のオレを、切なく思い出すんだ。
自らすべてに背を向けざるを得なかったオレ自身を。
呪印でむしばまれた身体より、そのボロボロだった心を思って、不可能なのに、手をさしのべたい気持ちで・・・・

不意にサクラが、オレをギュッと抱きしめた。
「幸せ?」
そう言って。
今度はオレは返事をせず、片腕でサクラを抱きしめ返し、その唇にキスをする。
サクラがオレを受け止めて、それはゆっくり深くなる・・・・
まだ深い夜は、虫の声とオレたちの息づかいを、静かに包み込んでくれた。

夫婦で睦み合った次の日は、なぜかサラダが纏わり付いてくる。
まさか、知っているワケはないだろうが、かわいい嫉妬に見えて、そんなサラダが愛おしい。
「サラダ、パパはお仕事よ」
出て行く時間になっても、オレの足下を離れないサラダに、サクラが言う。
サラダはまっすぐにオレを見上げ
「まだいる?」
片言の言葉で、そんなことを言う。
「ああ。今日も帰ってくるよ」
そう言って抱き上げる。
その軽さに、いや、その重さに、一瞬、涙が出そうになった。
何もかもが、オレのスケールを超えていることを、
人の愛とは、本当に、もの凄いモノであることを、
オレは、兄を通して知ったのに、ナルトを通して知ったのに、
こうして、何度も殴られるんだ・・・・

サクラが、そっとサラダをオレから抱き取り、離れる。
「いってらっしゃい、ね、サラダ」
「い・・いってらっちゃ・・い」

オレは涙を隠すために、「ああ」といいざま背を向ける。
足早に歩いて、ようやく振り返る。
家の前に出て、二人で手を振るその姿に、もう、涙を抑えることができなかった。



【終わり】
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