驟雨 2




夏の暑いシーズンなら、ここまで足をのばす人もいるだろう。
強い日差しから逃れるようにこの東屋に来て、一服したり、弁当を食ったりするのだろう。
でも、そんな季節までは、まだ間がある。
東屋は目を覚ますことなく季節外れの侵入者を受け入れたかのように、その佇まいは静かだった。
  「ひえー・・・・・ここまで凄いと笑えるな」
東屋に駆け込むと、なんの躊躇もなくカカシは上半身を脱ぎ捨てた。
それは突然で、サスケは唖然としてカカシを見た。
カカシの服が吸っていた雨水が、派手な音を立てて床に滴る。
  「サスケ、脱いで絞ってみろよ。凄いぞ」
子供のような無邪気な声で名を呼ばれ、サスケはハッと意識を取り戻し、改めてカカシを見た。

曇天のせいで、真昼なのに薄暗い中ではあるが、こんな明るさの中でカカシの裸身を見たのは初めてだった。
  『ああ・・・』
その逞しい身体に、圧倒されてサスケは心の中で嘆息する。
確かにしなやかで綺麗な筋肉のつきかたはしているけど、こんなに男っぽいがっしりした身体を、俺はどうして抱けると思ったんだろう。
しかも明るい中で見るカカシの身体には、暗闇では確認できなかった傷がはっきりと見えた。
いくつかの太刀傷は生々しく、自分が女だったら、ちょっと引くかもしれない。
  「すげぇ・・・」
  「ん?・・・ああ、傷ね」
サスケの視線に、カカシは軽く頷いた。
  「よく生きてたな、アンタ」
  「ははは。明るいトコで見ると気持ち悪いだろ」
返事ができなかった。実際気持ち悪いくらいの傷だったからだ。それは綺麗な傷ではなく、毒の塗られた刃物で刺されたりえぐられたりしたような醜い痕だった。毒のせいか、一部は色さえ変わっている。
忍びの服を着て、ぼんやり立っているいつものカカシの印象が消え去って、目の前の男が全く別な人間に見える。
笑ってこちらを見るカカシの顔の傷も、改めて見れば酷い傷だ。瞼の筋が断ち切られているため、額当てをとると、感情が浮かんだときに、微妙に表情が歪んで見える。顔の筋肉に影響のないイルカの傷とは、全く異質なものだった。
  『この男を』
サスケは渇いた喉に唾液を落とす。
  『俺は抱いたんだ』
カカシの気まぐれだったのかもしれない。
俺の愚かな勢いに、押されてしまっただけかもしれない。
でも、確かに、この男の身体に、俺は自分を押し込んだ・・・・・
押し黙ったままのサスケに、でも、カカシは傷痕の感想を強要することもなく、自分の濡れた服を腰掛けにひろげて干している。
サスケはその姿をじっと見守った。
なんでも器用にこなし、印を優雅に組むあの手が、今は、おぼつかない様子で服を広げている。
それはサスケの心臓をギュッと掴む愛しさに満ちた様子だった。
身体中ボロボロにして、命を賭して、しかしなんの見返りもなく黙々と任務に励むカカシ。
俺を一人前にするために、休日返上で修行につきあってくれるカカシ。
かわいそうでもなく、凄いという畏敬でもなく、サスケの心に湧くのは、ただただ「愛しい」、それだけだった。
こんな意志の力で立っているような男が、気まぐれにせよ、流されたにせよ、俺と寝たことが、その寂しい人生の証だ。
こんな醜い傷を身体に刻んで、たぶん、商売女しか抱いたことがないに違いない。さもなくば、任務時に、仲間と互いに交わる殺伐としたセックス・・・・・
カカシがサスケに晒した「人生」は、サスケの脳を混沌とした状態にする。
カカシに向かういろんな気持ちをどう整理していいかわからず、サスケは圧倒されたまま、沈黙を続けた。
やがて、服を綺麗に広げ終えたカカシは、腰掛けに並んで腰をおろすと、
  「静かだな」
と言った。
そう言うカカシの声も静かで、ザーーッという激しい音は、今や静けさの一部だった。
無言の二人の間を埋めるように、雨はその音を東屋に満たす。
屋根に落ちる雨滴の音は、サスケとカカシ、二人だけの閉鎖系を作る・・・・・
さっきまで、あの銀糸の下にいたなんて・・・・
雨に打たれてこちらに笑むカカシ。

  『また雨か・・・・』

  「またって・・・」
余程経ってから発せられたサスケの唐突な一言も、周囲の優しいざわめきに、柔らかい音になる。
カカシは何も言わず、でもサスケの方を見ると『何?』とでも言うように僅かに目の造形を動かした。
  「さっき、アンタ・・・」
カカシはこちらを見たまま。
  「『また』って言った・・・」
カカシは少し考えるようにして、やがて「ああ」と口の中で言った。
  「また雨かって、か?」
  「そう」
  「そういや言ったな」
  「どういう意味?」
カカシは期待したほどの会話じゃなかったとでもいうようなつまらなそうな目に戻ると、大きく開いたくりぬき窓の方にまた顔を戻した。
  「言ったままさ。サスケと二人になるときって、いつも雨だよな」
サスケはびっくりした。
確かに何回か痴話めいた騒ぎが二人の間にはあったが、生活や人生の色々から、サスケの事だけを抽出して語るような、そんな部分がカカシにあるなんて。
それは新鮮な驚きだった。もちろん同時に嬉しかったのは確かだ。
そういう意識のされ方をしていて、その対象は自分であるというような。
カカシの中にもしかしたら、自分が思うより確かなポジションがあるのではないか・・・・
  「そうだな。いつも雨だ」
  「だろ?まあ、雨っていうよりは嵐みたいな天気だけどな、いつも」
それもその通りだ。
二人のスムーズじゃない関係みたいに、いつも大雨だ。
雷まで鳴っていた日もあった。
荒天のいちいちまで覚えているカカシに、またサスケの心臓が疼く。



2008.11.24.