海
いつも、なんか不意打ちだ。
サイはそう思って、何となく不愉快になる。
今日だってそうだ。
ナルトから頼まれて、カカシに届け物をしに来ただけなのに。
いつものように、「こんにちは」と大きく声をかけながら、木戸を開けたサイは、
「・・あ」
と言って固まってしまった。
上半身裸のカカシが、「ん?」とこちらを振り返る。
勢いよく開いた木戸が、ギイィと音を立てて閉まりかけ、サイの肩に静かに当たった。
◇
「ナルトは?」
サイから届け物を受け取ってカカシが尋ねる。
「アカデミーの先生となんか約束があるそうです」
「そうか」
初夏の日差しはキラキラとして、ただでさえまぶしいのに、白いカカシの裸身に跳ね返ってサイから落ち着きを奪う。
直射日光を浴びている様から目をそらし、
「熱くないですか?」
と言った。直接肌を焼かれると熱いだろう。
「あ、これ?」
声が朗らかで、いつもだまされる。
この男が、とぼけたしゃべり方からは連想できない、綺麗な顔をしていることに。
でも、何度もだまされて、それでもサイは、いやじゃなかった。
「暑くなりそうだから、水をまいてたんだ。そしたらさあ、」
なるほど。
太陽に熱せられた地面は、今は、色濃く濡れて、所々のくぼみには大きな水溜まりができていた。
そして、そこに横たわる水色のホースからは、透明な飴細工のように、水がうねって流れ出ている。
「ホースがそこの石に引っかかっちゃって(笑)」
縁側の上がり框(かまち)手前の敷石を指した。
「意図せず水が噴き出したんですね」
「ははは・・・意図せず、か(笑)」
笑いながら、地面に落ちたホースを拾う。
と、いきなり、その水をかけられた。
油断していたサイは、「うわ」という間抜けな声をあげ、結局全身を水に濡らしてしまった。
「はははは・・・」
「な・・・何をする!!」
「暑いんだろ?」
「濡れちゃったじゃないですか!!」
カカシが笑って、空を仰ぐ。
青い空は、白い雲を優雅に漂わせて、今は風もない。
「君に表情がないなんて、誰が言ったんだろうなあ」
不意を突かれて、サイは押し黙る。
カカシが空に向かって水を飛ばした。
早朝の露のように新鮮な色をした水の玉は、夏の光を乱反射して、一時の雨のようだった。
◇
カカシが差し出したタオルを受け取って、サイは縁側に座る。
サイも、今は上半身を脱いで、ジリジリする太陽の光を、まともに受けていた。
タオルからは思いがけなく、洗濯のいい匂いがして、サイはその香りを何度もかいだ。
サイの中では、カカシはなんと言っても優れた忍者で、いまだに、家事をしているような姿を思い浮かべられない。だから、カカシを訪ねる折りに、マグカップではあるがコーヒーを出されたりすると、そのたびに、はっと何か気づかされるような気がした。
「洗濯とかするんですか?」
「え?」
自分もタオルで髪を拭きながら、聞き返す。
「いい匂いがする」
「ああ、当たり前でしょ。誰がしてくれんの?変なこと言うねぇ(笑)」
気づくと、カカシからもいい匂いがしていた。
「アナタからもする」
「今日は休みだもん。いいでしょ」
仕事の時は、所在を紛らわすために、それこそ、本当にいろんなネガティブになるようなニオイにまみれる。だから、石鹸の匂いがするような同僚は、ちょっと意外な感じがした。
それは、カカシのプライベートに触れている近親感で。
「サイもいい匂いするよ」
え?
サイがカカシを見る。
乾きはじめた銀髪が解れて、目元にかかっている。
こんなに近くでカカシをちゃんと見たのは初めてだった。
顎の下に剃り残した髭を見つけて、わけもわからずドキドキする。
「何の・・・匂いかな・・・?」
掠れた声でやっとそう言った。
「花の匂いだよ」
「?」
あそこの通りを歩いたろ?
とカカシが説明する。
あそこの家の裏に、紫陽花が咲いてるんだ。気づいてた?
ああ・・・・
頷きながら、何故か僅かに赤面して、サイは、庭のくぼみの水溜まりに目をやった。
「ちょっとだけ、花をちぎったろ?」
「え・・・?」
当たっている。
「葉の陰から出てきたカエルにびっくりした」
「は?なんで?」
全くその通りだったのだ。
「ははは・・・」
「カカシさん!!」
「だって、見てたから(笑)」
「!!」
驚いたし、ムッともしたが、それよりなにより、カカシの意識の中に自分がいることのほうが嬉しかった。
「ほら、俺、あそこからずっと見てたんだよ」
カカシが庭に降りて上を指す。
サイも降りて見上げた。
「あ・・・」
思わず声を上げてしまうくらい、二階の物干し台にはためく洗濯物は、新鮮に白く輝いていた。
「洗濯してる証拠(笑)」
屈託なく笑うカカシの、石鹸の匂いが鼻先をかすめて、サイは、じんわりする心の在処を感じていた。
「二階があったんですね」
「気になるのはそこか(笑)。二階に部屋はないよ。あの物干し場だけ」
そのシーツのピンと干されている様に
「今すぐにでも結婚できますね」
というと、
「まあね(笑)」
と笑っている。
近くで、蝉が鳴いていて、今夏初めて聞くその鳴き声に、サイがしばし黙る。
地面にできた水溜まりは大きく空を映し、その青さは、どこか別なところの空のような、不思議な感じがした。
「海みたいだね」
ふっとカカシが言う。
水溜まりの青に、カカシは海を見ていたらしい。
「ええ(笑)」
カカシの発想が幼くて、それが愛おしくて、いつも、年上のような感じがしない。
「もう、昼だね。お腹空かない?」
「そういえば・・・空いてます」
「なんか作ってあげようか?」
サイが黙る。
また、不意打ちだ
かたづけようとカカシがホースを拾い上げる。
「今日は暑くなるねぇ~」
サイの返事を待たず、独り言のように言いながら、カカシがホースをまとめる。
そのホースの端から、水溜まりに水滴が落ち、海のように波が立つのを、サイは見ていた。
2009.06.07